皐月文庫

小説

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最終更新日2020年8月12日
小説 21

小説ヤマト運輸

高杉良

宅急便(登録商標)が関係省庁や地元業者との壮絶な駆け引きの末にようやく生まれたサービスであることを僕らはほとんど知らない。この国内すべてを網羅した流通革命はどのように始まったのか。ヤマト運輸創業からの歴史を紐解きながらその内実に迫る壮絶なドキュメンタリー。

企業間の配送業務(大口貨物)から、顧客を「個人」に変える「小口便」の構想。当然ながらこのアイデアは内外からの激しい反発に晒される。しかし反対のない新しさに意味はないとでも言うような不敵さで、信念を貫くその一連の流れを創業時にまで遡って淀みなく詳細に描いているのだ。

また歴史ある大企業ならではの「組合」に関することや、クロネコヤマトのロゴマークに関するある一社員の秘話なども語られており、そういった人材に関する指摘も興味深い。経営者としての手腕、特に二代に渡るトップの生き様もさることながら、社員それぞれの多様で複雑な人間ドラマでもあるわけで、表題の通り「小説」としての面白さもまさにこの点にあるように思う。

余談だが、僕は20代の半ば頃にヤマト運輸で数年ほど契約社員として働いていた経験がある。あの時、まず最初に品川にあった教育施設で様々な研修を受けたのだが、とにかく事故の話について延々と解説されたことを今でもよく覚えている。繁忙期には目も眩むような荷物の量で、秒ごとに捌かなければ間に合わない時間配達のキツさ、不在時のガッカリ感だとか、まだネット販売がなかった頃であの状態だったのだから、現況は推して知るべしだ。

小説 20

海の仙人

絲山秋子

宝くじに当選して思わぬ大金を得た「河野」はさっさと会社を辞めて日本海を臨む福井県敦賀に移住する。不意に現れた不詳の神「ファンタジー」との共同生活、ジープに乗った年上の「かりん」との出会い、元同僚で何やら思いのある豪快な「片桐」、そんなふうに孤独だった「河野」へ徐々に加えられていく色や音。とにかくその神「ファンタジー」をどう読むかで、この物語の面白さは如何様にも変わってしまう、不思議な物語だ。

物語の構成としては本当にシンプルだと思う。ちょっとしたロードムービー的な展開もあるし、出会いと別れもきちんとある。誰もが孤独だし、でもどこかで誰かを必要としている、主人公「河野」はそれぞれの個性に振り回されながらも、「置いてきた」自分自身と向き合わなければならなくなる瞬間がある。そんな良質な人間ドラマを展開していく中で、異質の存在、神様「ファンタジー」とは一体何者なのか。

何の役にも立たないが、役に立たないなりの不思議な能力がある、ぶっきらぼうでいて、でもやっぱり神様らしい言葉を吐く。僕なんかは最後の二行で初めて彼の存在があったのだと思いたい派なんだが、要するにそんな奇妙(というより珍妙)な存在がこの物語に「居る」にもかかわらず、作中の何処でも何ら浮いた感じがしないのは読後から今以て謎のままだ。

小説 19

春を背負って

笹本稜平

脱サラして亡くなった父の山小屋を継いだ「長嶺亨」は、山の仲間や登山者らとの交流を通じ、それぞれが抱える事情と向き合いながら奥秩父の山岳地帯を舞台に「山の人」として成長していく姿を描く。

「山岳小説」という分類があるように山を舞台にした作品にはひとつのジャンルを形成できるほどの独特の雰囲気があるように思う。特に山がちなこの国の事情を考えれば、誰もが簡単に入り込めるような身近な自然の脅威として一層強く感じるに違いない。この物語ではそういう山の厳しさを表す一方、主人公の「亨」を筆頭とした登場人物たちすべてを暖かさ優しさの象徴として描いている点に注目したい。勿論、それぞれに迷いはあるし、周囲に助けられることで乗り越えていく部分はある、それでも悪意や絶望すら包み込んで、ただ誰かを助けようとするその姿勢に言い様のない鮮烈さを受けたのだった。

山岳ものというとどうしても山という自然の恐ろしさ、それ故起こる悲劇といった普遍的な物語性があるように見える。しかしこの作品ではそこから一歩引いて、人間の持つ生命力のようなものに焦点を当てて「生き抜くこと」ではなくもっと純粋に「生きる」ということそのものを描いていると感じる。

「山」という極限の舞台で助け合いながら生きていく様。そして、あくまで人のうちにあるお話。読み終えた後の率直な感想としてはそういう印象なのだ。

小説 18

論理と感性は相反しない

山崎ナオコーラ

難しい言葉でお茶を濁すような真似はせず、出来るだけシンプルに平易いな言葉を使って優しい文章を書きたい、的なスタンスの作家が送る一見して「何なんだこの小説は」という感じの作品。作家による真っ当な「小説」への破壊活動。それも思想犯というより愉快犯による犯行とでもいうような。

ああもう分かる、のめり込むくらいの、底のない沼というより水溜りくらいの面積で簡単にハマってしまう感覚。一読して早速「わかった、私はこの作家のことが好きなんだ」と思う読み手は多いんじゃなかろうか。距離感が妙に近いのは前述のスタンスも影響しているのかもしれないが、そんな具合で頭の後ろからくる視線に気付いて振り返ると、「近っ!」という感じで作家の(見たことない)顔があるような。うん、…分からん。

一応「神田川」さんと「真野」くんという主要な登場人物がおり、彼らと彼らの周囲にある細やかなコミュニティの、実に細やかな出来事を細切れにして脈絡なくつまみ上げたような形になっている。詳細に書いておきながら「え?」という感じであっさりと終止符を打ったり、「は?」という感じで唐突に始まった物語は「うっ」という感じで得体の知れない示唆のようなものを残していく。

これはもしかしたら作家という芸術家の、頭の中にある「論理」と「感性」を小説という形で象った一種の私小説なんでしょうか。

小説 17

電車道

磯﨑憲一郎

我慢のならなかった薬屋の男と選挙に落選し後に電鉄会社を興す男二人の生き様を軸に、ただの集落であったある町のおよそ100年に及ぶ変遷を丁寧に紡いだ物語。大震災や戦争、その後にあった高度経済成長など、近現代の日本に起こった様々な事件を背景に、鉄道と町、鉄道と人など、社会のインフラとしての鉄道の役割、それに関わる人間社会の変容などが壮大なスケール感で描かれている。

例えば「A列車で行こう」という鉄道を軸にした都市開発系のゲーム(1985~)があるが、ご存知の方には「ああ、なるほどそういう話ね」と思われるかもしれない。二人の男のうち、電鉄会社を興した男はプレイヤーであり、元薬屋の男は町を作る前に既に居たNPCというような図式だ。

鉄道の歴史。それも国家としての一大事業ではなく、今日で言う私鉄のそれ。小さな思惑がやがて国家の在り様も変えていくようなそういう単純なお話ではなく、鉄道という「道」の存在をベースにしながらも、二人の男の人間臭い個人の物語を丹念に積み重ねて、また彼らと彼らの思いが受け継がれていくことによって社会がどのように変容していったか、ここにこの物語の面白さ、特異性があるように思う。鉄路がレールの一本一本で繋がれているように、大きな世界と小さな視点をうまい具合に融合させてバランスよく時間を流す、この仕掛けこそ本作品の真髄と言ってもいいかもしれない。

小説 16

雪沼とその周辺

堀江敏幸

雪沼という山あいにある小さな町を舞台に、そこに営む様々な人間の在り様を描いた全7編。このうちの一編「スタンス・ドット」で川端康成文学賞を、表題の短編集全体で谷崎潤一郎賞及び木山捷平文学賞を受賞している。

ここで描かれている世界は取るに足らない人間の生活そのものでしかない。きっと何か別の媒体で、例えば映像化したとすれば誰もが想像するような過疎化した町の日常をやや冗長な画で切り取るくらいにしかならないだろうと思う。ところがそういう普遍的な人間の生き様を、この作品では人と物あるいは情と景のバランスを保ちながら、説明することの難しい緊迫感のようなもので間を紡ぎ、読み手の感情を前へ前へと走らせることに成功しているように思う。つまり文学でしか表現の出来ない「純」な作品なのだ。思うにこの感覚こそ、本小説の最も重要な点(様々な作品がある中)であって、代え難い魅力のひとつだと言えないだろうか。

「言葉のマジック」という評し方があるが、それに近い仕組みがあったとしても、煙に巻く様な言葉遣いでうやむやにせず、丁寧に丁寧に一文ずつ書いていった様なそういう印象の強い傑作だと個人的には感じている。

小説 15

黄色い目の魚

佐藤多佳子

絵を「見る」ことが好きな女子高生の「みのり」と絵を「描く」ことが好きな同級生「木島」の仄明るい青春模様。

馴染めないクラスメイト、授業中の彼のあまりにも上手い落書き、放課後の美術室、それぞれの家庭、そして彼女が世界で一番好きな場所という叔父「通ちゃん」のアトリエ。それぞれのキャラクターにそっと寄り添いながら、その頃の少年少女が持つ特有の複雑さを丁寧に描いている。そう、何というかもうどうにも形容しがたい優しさだとか暖かさに満ちているのだ。これは僕個人が思うこの作家特有の描き方でもあるし、次も読みたいと思わせる魅力のひとつでもある。きっと視点の切り替えにある文章の妙というのも大いに影響しているだろうし、さらに言えば彼らの側に自然に立てるようなそういう書き方というのは、特に青春時代の複雑さを表現する上でこれ以上ない技法のひとつとさえ思える。

大きな事件があるわけでもないし、世の中に絶望するような激しい感情もない、誰かの視線は気になるが一生懸命はただただ格好悪い。目の前の事象を重ねていくうちにそれぞれがちょっぴり成長するようなそういう青春。でも多分それが正解。

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小説 14

ネバーランド

恩田陸

冬休みを迎えた男子校の学生寮で、帰省せず居残りを決めた4人の少年たちのそれぞれを描く青春小説。

彼らが抱える問題と巻き起こる事件、明かされる秘密。後書きで作家自身が萩尾望都の「トーマの心臓」をやりたかったと述懐している通り、あの時分の少年が持つ特有の表裏のようなもの、そんなものを逆に溌剌としたキャラクターたちに託して実に爽やかな青春学園ものに仕上がっていると感じた。

寮という閉鎖的な空間で、それでも4人しかいないというシチュエーションがもう既にミステリーの舞台としては申し分ないし、彼らがなぜ帰省せず、残らなければならなかったのか、彼らにどんな事情があったのか、それを知りたいと思わせる登場人物たちの個性があるのだ。しかも季節は冬。春でも夏でもないこの季節特有の雰囲気も相俟って舞台がより際立つような、そんな仕掛けに満ちている。前述の後書きにもある通り、作家自身この作品に対する思いは様々あるようで確かに仰る通り後の作品のベースになったようなそんな感じだ。

ちなみに萩尾望都の「トーマの心臓」は僕が学生の頃に読んで当時頭が破裂するほどの衝撃を受けた作品のひとつだということを補足しておきます。

小説 13

とんび

重松清

昭和の親父「ヤス」さんの半生を追い、愛妻「美佐子」さんと、いずれ生まれる一人息子「アキラ」くんとの家族、父子の物語。

とんびという題名から察せられる通り、それは昭和のというよりもっとディープな下町感溢れる人情ものとして涙なしには読むことのできない絆の物語になっている。そしてもちろん方言で語られる言葉のマジックで、もうズルいとしか言い様のないお話と言っていいと思う。こうした人情ものというのは、もうこのご時世ではほとんど馴染みがなくなったし、下町という風景でさえ、もしかしたらレトロという言葉で片付けられてしまうような、郷愁のような響きさえある。そうした世界で「ヤス」さんが力強く前向きに家族のために生きることの素敵さ、暖かさのようなものをこれでもかと味わうことができるだろう。

父から子へ受け継がれていく思いだとか情だとか、単に絆という言葉で片付けられない、登場人物たちのそれぞれの思惑に打算のない優しさと切なさがあって、読みながらやっぱり涙を流してしまうようなそういう情景に満ちている。やりすぎだとか狙いすぎだとか、そういう感想もあるかもしれない。でもこれがこの世界の真実なんです。

小説 12

オートフィクション

金原ひとみ

作家の「リン」はある時担当編集者の「品川」から「自伝的創作」の執筆依頼を受ける。現在から過去へ、唐突に走り始める世界。だがそれは真実なのか、それとも虚構なのか、それら虚実の歯車が高速でかみ合うような疾走感で紡がれていくミステリアスな物語。

デビュー作の芥川賞受賞作品「蛇にピアス」には腰を抜かすほどの衝撃を覚えたが、総じて緊張と不安と相反する開放感あるいは快感に近いもの、その感情の振幅に酔ってしまうようなそういう感覚を受けてしまう。次から次へと溢れ出てくるような、言葉と感情ががっちりと融合した世界。

本作においても主人公「リン」と彼女のフィルターを通して描かれる登場人物たちの生き様のようなもの、例えば単純な会話にしろ、その中の言葉遣いや仕草の描写も含めて、上部の苛烈さを強調しながら、どこか煙に巻きつつも「生きる」あるいは「生きていく」という本質めいたテーマを一切外さないその芯の強さは変わらない。

今読んでいる箇所は果たして「本当」のことなんだろうか、いや小説に「本当」ってなんだ? この緊張感の中で前述の苛烈さや爆走っぷりを持ってさらに曖昧さが増幅され、実はいつのまにか作家の仕掛けた「孔明の罠」にハマっているんじゃないかとそんなふうに勘繰ってもいるのだ。

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小説 11

東京ロンダリング

原田ひ香

主人公の「りさ子」さんは訳あって東京都内の事故物件に一ヶ月だけ住むという仕事に就く。この奇妙で不可解な仕事は不動産業者の説明責任を回避するための事故物件浄化(ロンダリング)業であるのだが、と同時にりさ子さん自身の心の浄化を描いていく再生の物語でもあるのだ。

例えば不動産を取り扱うウェブサイトなどで備考欄に「心理的瑕疵あり」の文字が書かれた物件を見たことがある方も多いと思う。直前に誰かが亡くなった、孤独死か事故死か、それともただならぬ理由で死を迎えたのか、いずれにしろ穏やかではないその物件に一月でも住む理由とは、僕自身その辺の法律には詳しくないので詳細は省くがよくもまあそんな仕事を考え付いたものだと変なところで感心してしまった。ロンダリングとはよく言ったものですよ。

作家自身が元々はシナリオライターだったからなのか、場面ごとの風景や会話の言葉選び、テンポも含めて実に分かりやすく小気味好く進行していく。まるでドラマを見ているかのような描き方。構成に意地の悪さなど微塵もなく、分かりやすく読みやすい仕上がりになっていると思う。これから家についてアレコレある方は是非に。

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小説 10

夏光

乾ルカ

夏光と書いて「なつひかり」という「め・くち・みみ」の第一部3編と「は・みみ・はな」の第二部3編からなる短編集。

紹介されたジャンルとしてはホラーということなのだが、より仔細に言えば怪異譚というようなニュアンスが一番近いと思う。第一部第二部とも表題の通り身体の部位をテーマにした短編が全部で6編。時代も風景も登場人物の事情もバラバラだが、希望や願望あるいは欲望といった抗うことの出来ない情をもって、さらにその先へと一歩踏み込んでしまった者たちの顛末を描く。

ただしこの6編それぞれに流れるトーンは多様で、不気味さ、薄気味悪さもあれば切なさやある種の優しさもあるところが面白い。それぞれの立場や思惑は違っても、回りくどい構成にはせず視覚や味覚あるいは嗅覚など、本能に繋がる部分へ直接訴えるようなそういう仕組みになっている。この仕掛けこそ本作の要点でもあるし、一筋縄ではいかない恐ろしさを見せつけてくる所以だと思うのです。