皐月文庫

文藝春秋

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最終更新日2022年6月4日
小説 30

離陸

絲山秋子

国交省からとあるダム現場に出向した「佐藤」は、ある夜外国人(屈強な黒人)の突然の訪問を受ける。佐藤の元恋人「乃緒(のお)」は奇妙な名前の息子をフランスに残して失踪しており、一緒に探し出してほしいと言う。なぜフランスなのか、その子の父親は誰なのか、そして彼女は今何処で何をしているのか。その瞬間から日本やフランスなどいくつかの国を跨いだ壮大でミステリアスな物語が幕を開けるのだった。

主人公である佐藤を軸としながら、彼自身と彼にまつわる「人生」にスポットライトを当てて、肝心なところはぼかしつつもその実痒いところに手が届くような繊細さで描写がなされている。例えば冒頭に描かれる山奥のダムに風景や飛び先でもあるフランスの街とその路地裏の描写など、必要最小限度の文体で「そこにいる感」を軽々と演出しているふうに思う。このある種の軽妙さは、主人公「佐藤」の性格あるいは心理状態と常にリンクしていて、まるで狂いのないメトロノームのように、スラスラと先んじてしまう心地よさがある。それはまさしくこの作家のセンスだと言えるのだが、そういう言葉では何とも説明のし難いセンス(敢えて魅力と言う)として、この作家ほど分かりやすい方はいないんじゃなかろうかとも感じるのだ。

失踪した女優「乃緒」を求めていく過程で不意に提示されるミステリアスな展開、SFかファンタジーか「これはそういう類のお話でしたっけ?」と読み手の中に現れる疑念。この仕掛けが実に面白い。この疑わしさの中、本質は決してブレずにただただ真っ直ぐ進んでいく。つまり表題の「離陸」の通り、この物語はその終盤まで長い長い滑走路を直進しているに過ぎないのだ。だからこそその答えに迷いがない。間違いがないとも言えるのだろうが、このあたりはボク自身ももっともっと読み込まないと確信には届かないだろうなと。そういう点でも読み応えのある作品だと思う次第だ。

小説 19

春を背負って

笹本稜平

脱サラして亡くなった父の山小屋を継いだ「長嶺亨」は、山の仲間や登山者らとの交流を通じ、それぞれが抱える事情と向き合いながら奥秩父の山岳地帯を舞台に「山の人」として成長していく姿を描く。

「山岳小説」という分類があるように山を舞台にした作品にはひとつのジャンルを形成できるほどの独特の雰囲気があるように思う。特に山がちなこの国の事情を考えれば、誰もが簡単に入り込めるような身近な自然の脅威として一層強く感じるに違いない。この物語ではそういう山の厳しさを表す一方、主人公の「亨」を筆頭とした登場人物たちすべてを暖かさ優しさの象徴として描いている点に注目したい。勿論、それぞれに迷いはあるし、周囲に助けられることで乗り越えていく部分はある、それでも悪意や絶望すら包み込んで、ただ誰かを助けようとするその姿勢に言い様のない鮮烈さを受けたのだった。

山岳ものというとどうしても山という自然の恐ろしさ、それ故起こる悲劇といった普遍的な物語性があるように見える。しかしこの作品ではそこから一歩引いて、人間の持つ生命力のようなものに焦点を当てて「生き抜くこと」ではなくもっと純粋に「生きる」ということそのものを描いていると感じる。

「山」という極限の舞台で助け合いながら生きていく様。そして、あくまで人のうちにあるお話。読み終えた後の率直な感想としてはそういう印象なのだ。

小説 10

夏光

乾ルカ

夏光と書いて「なつひかり」という「め・くち・みみ」の第一部3編と「は・みみ・はな」の第二部3編からなる短編集。

紹介されたジャンルとしてはホラーということなのだが、より仔細に言えば怪異譚というようなニュアンスが一番近いと思う。第一部第二部とも表題の通り身体の部位をテーマにした短編が全部で6編。時代も風景も登場人物の事情もバラバラだが、希望や願望あるいは欲望といった抗うことの出来ない情をもって、さらにその先へと一歩踏み込んでしまった者たちの顛末を描く。

ただしこの6編それぞれに流れるトーンは多様で、不気味さ、薄気味悪さもあれば切なさやある種の優しさもあるところが面白い。それぞれの立場や思惑は違っても、回りくどい構成にはせず視覚や味覚あるいは嗅覚など、本能に繋がる部分へ直接訴えるようなそういう仕組みになっている。この仕掛けこそ本作の要点でもあるし、一筋縄ではいかない恐ろしさを見せつけてくる所以だと思うのです。

小説 7

彗星物語

宮本輝

どうしてこの作家はこんなにも美しい文章が書けるのだろう。言葉の選び方、構成、内容そのものに至るまで一級の芸術品のような流麗な響きに満ちている。

大家族の城田家にハンガリーから留学生としてやってきた青年ポラール、フックという名前の犬一匹が織りなす「ファミリー」の物語。まだハンガリーが民主化する以前、社会主義国だった頃のお話だ。総勢12人という大家族の元に、遠い異国からやってきた異質の存在が混ざることで家族の絆がどう揺れ動くのか、そういう仕組みになっている。もちろんポラール青年の目だけを通して、ということではなく、総勢13人(時には迷犬フック)も含めてそれぞれの目線で家族が描かれているのだが、彼ら彼女らの思惑を第三者目線で味わえる読者の贅沢さと言ったらない、それぞれの事件とそれぞれの思惑とがぶつかり合うような「繋がり」(今となってはもう懐かしささえ感じるような)をこれでもかと感じて欲しい。

しかしそれにしてもこのお話に関西弁はずるいなぁと思う。いや関西弁だけじゃなくて方言全般、もう本当にずるい。