皐月文庫

ファンタジー

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最終更新日2022年5月1日
漫画 29

バクちゃん

増村十七

遠いバクの星から東京メトロ(!?)で地球の日本にやってきた獏の「バクちゃん」の夢追い冒険物語。全2巻。よくデザインされた絵本のようなタッチ、ヒネリの加わった言葉遊びやパロディなど、独特なセンスを含めてあらゆるコマから作者の絵に対する拘りが見付けられるような熱く美しい物語に仕上がっている。そう、ここ最近読んだ物語の中でも熱量の高い作品のひとつだと思う。それは単にコマのひとつひとつに拘りを持って描いているだけではなく、このタッチにあってもなお現実の社会問題に真っ向から切り込んでいるからだ。

もはや草木すら夢を見ない貧困のバク星からやってきた「バクちゃん」は、電車内で溺れかけているところを名古屋からやってきた人間の「ハナちゃん」に助けられて、そのまま同じアパートに下宿することとなった。様々な宇宙人たちが溢れる社会でそれぞれがそれぞれの悩みを抱えて生きている中、永住権を手に入れるため奮闘する「バクちゃん」。うーん、こうして冒頭の圧倒的な自由さを文章に置き換えてしまうと途端に「なるほど、そういう話か」となってしまうこの残念さはなんだろう。このワクワク感が急に色褪せてしまって口惜しさすら感じてしまう。

ここで語られるテーマ、例えば「移民」の問題などはむしろ導入でしかなく、もっと根源的な「社会」や「人間」そのものに向けられており、「バクちゃん」が「夢」を食む獏であることの意味や意義とひとつに考えなくてはならない。「夢」はボクらの原動力になっているのだろうか、あの人はどうだろうか、この人はどんな「夢」を持っているのだろう、もしかしたら他人の「夢」に気付いていないだけで、この社会は「夢」で溢れているのではないか。外から見きれない人間にとって、読後のこの優しい気付きにこそ大きな意味があるような気がしてならないのだ。

寓話だね、イソップかもと片付けてしまうと何だかやるせない感覚はあるのだが、微妙に外れたコメディ感が何とはない嘘臭さを醸し出していて、重いなという印象はまったくない。これは読み手としては結構重要であり、表現の場として漫画を選んだのは成功していると思う(漫画があって内容があったのだと思うが)。ただ如何せん物語で語りたい多様な「夢」と同様、いろんな人に読んでもらわないとどうにもならない歯痒さがあるので「もうとにかく読んでほしい」とその一言に尽きる。

漫画 22

イムリ

三宅乱丈

戦争によって原住民「イムリ」の暮らす惑星ルーンを凍結させた支配民「カーマ」は隣星マージに移り住み、奴隷として故郷を持たない「イコル」の民を一種の超能力である「侵犯術」によって使役しながら賢者を頂点とした支配体制を四千年も積み重ねていた。この物語は2つの惑星と3つの民族を軸に、カーマの青年「デュルク」を通して描かれるSF的超大作だ。全26巻。

昨今の妙に整理されたテンプレート感のあるデジタルライクな絵柄とは一線を画し、荒々しくも宗教画のような神々しささえ感じられる独特なタッチ、メカ好きな男の子諸氏が喜ぶようなロボットや宇宙船は出てこず、かといってレイ・ブラッドベリに影響を受けたようなかつての詩篇的耽美系SF漫画とは異なる、どちらかというと極めて現実的な、個と群、支配する側とされる側、持つ者と持たざる者の対比による差別や区別など生に近しい社会構造に一石を投じるようなハードな作品に仕上がっている。

「侵犯術」のような人の意識を操る超能力めいた力には、マインドコントロール的な何かを感じ取る読み手も多いだろう。あるいは権力や多数派に対して盲目的に追従する者への批判もあるのかもしれない。しかし正義だとか悪だとかの二元論以前に、人が本来持っているはずの「正しさ」をくすぐりながら、「間違っているかも」という小さな疑念に真っ向からスポットを当てる、ここに本作の意義があるように感じている。

14年という長い時間を掛けて完結した作品であること、巻末にある細かい設定資料集等を鑑みるに、かなり綿密に考え抜かれ用意されたストーリーであることが窺い知れる。そうして創り上げられた世界の中に浸って、重厚な人間ドラマを味わえる本作は最終巻の帯にあるようにまさに「圧倒的」だと感じるに違いない。

漫画 20

乱と灰色の世界

入江亜季

日本のどこかにある「灰町」の「漆間家」4人家族は全員が魔法使い。カラスを率いる職人のような佇まいの渋い父と魔力と色っぽさでは最強の母、肩で風を切りそうな高校生の長男に早く大人になりたい小学生の妹、この4人とその周囲を彩る様々な面々、この物語はそんな「魔法使い」たちが巻き起こす壮大な日常形冒険譚なのである。全7巻。

まあとにかく何でもアリのこのカオスな世界で、常識と非常識の合間を巧みに行き来しながら、信念めいた強固な世界観で物語をぐんぐん前へと進ませていく。登場するキャラクターが(外見や内面を問わず)それぞれ際立っている点も、この作品が持つ魅力と言えよう。もはやいい大人向けの煌びやかな少年(少女)漫画ではないかとさえ感じている。

ファンタジー作品というとその世界は完璧に架空のものであるわけだから、都合の良し悪しでしか語ることの出来ない危険性を孕んでもいる。そのためにルールや制限などを敢えて創造することになるわけだが、物語としてのクオリティだとかセンスだとかは、ほぼその部分に集約されると言っても過言ではない。翻って本作ではキャラクターや社会構造など至るところに的確な「縛り」を設けながら、アイデアは躊躇いなく自由に表現しており、その隙の無さには正直なところかなり参ってしまったのだった。

おそらくなのだが、作家自身の漫画的来歴をもって「好きなものを放り込んで煮詰めました」というような作品なんだと思う。その上で今日の漫画界の原初とも言える「トキワ荘」もしかしたら「二十四年組」世代へのリスペクト感をヒシヒシと感じてしまうのは、きっと僕だけではないはずだ。

小説 20

海の仙人

絲山秋子

宝くじに当選して思わぬ大金を得た「河野」はさっさと会社を辞めて日本海を臨む福井県敦賀に移住する。不意に現れた不詳の神「ファンタジー」との共同生活、ジープに乗った年上の「かりん」との出会い、元同僚で何やら思いのある豪快な「片桐」、そんなふうに孤独だった「河野」へ徐々に加えられていく色や音。とにかくその神「ファンタジー」をどう読むかで、この物語の面白さは如何様にも変わってしまう、不思議な物語だ。

物語の構成としては本当にシンプルだと思う。ちょっとしたロードムービー的な展開もあるし、出会いと別れもきちんとある。誰もが孤独だし、でもどこかで誰かを必要としている、主人公「河野」はそれぞれの個性に振り回されながらも、「置いてきた」自分自身と向き合わなければならなくなる瞬間がある。そんな良質な人間ドラマを展開していく中で、異質の存在、神様「ファンタジー」とは一体何者なのか。

何の役にも立たないが、役に立たないなりの不思議な能力がある、ぶっきらぼうでいて、でもやっぱり神様らしい言葉を吐く。僕なんかは最後の二行で初めて彼の存在があったのだと思いたい派なんだが、要するにそんな奇妙(というより珍妙)な存在がこの物語に「居る」にもかかわらず、作中の何処でも何ら浮いた感じがしないのは読後から今以て謎のままだ。

その他 3

コメット

鶴田謙二

漫画家兼イラストレーター「鶴田謙二」のイラスト・画集。なおこれ以前に「水素(1997)」という当時の錚々たる業界人「庵野秀明」に「あさりよしとお」「谷口ジロー」「藤島康介」「萩原一至」と言った漫画家らがコメントを寄せた珠玉の漫画的画集があるのだがそちらはもう手に入らない可能性もあるので。

この作家の拘りのようなテーマ、あるいは魅力のひとつに「青」の使い方がある。冷める様な真っ青な背景に青い服を着た人物を配するという、奥行きや広がりを同じ色調で表現しながら、例えば表情を印象的に浮き上がらせたり、波や雲、星などを白く抜いて断片的に見える背景の青を強調させてくる。兎にも角にも世界全体がその色によって支配されていると言わんばかりに惜しげも無く「青」を使うのだ。

そしてもう一点、鶴田謙二の描く女の子の何と魅力的なことよ。スマートでも肉感的でもないスタイルに、眉毛の太さが特徴の活発そうでそれでいて思慮深さのある顔立ち、でも大事なところでズッコケる仕草だとか「えへへ」が透けて見えるようなコミカルさだとか、コロコロと変化していきそうな表情だとか。もう挙げればキリがない。察するにこのキャラクターの魅力については鶴田謙二ファン共通の鑑賞ポイントだと思うのだがどうだろうか。

漫画 13

魔女

五十嵐大介

この世界のあらゆる場所で、地球規模のあるいは宇宙全体の摂理として語ることの出来ない、大いなるものとの繋がりを紐解く魔女の存在、人間と自然といったほとんどの作品にある共通のテーマの原初のような物語6編。全2巻。

曖昧な描線にピントの合っていないような不安定な描写、かと思えば目を疑うほどの緻密さで描き込まれた得体の知れない造形と表現。波も雲も雨粒も、もっとミクロな細胞の世界でさえ、取り憑かれたような描き方を堪能できる。勿論単純な物語ではないのだが分かりにくさや難しさは感じられないだろう。逆に確固とした思想によって「これは伝えなければならない」というような作家の使命のようなものをほとんどストレートに受け取れる点で素直に「傑作」だと言えるのだと思う。

この作家について「BSマンガ夜話」では他の追随を許さないユニークさでほとんど稀代のアーティストのように大絶賛されたが、続く「漫勉」ではまるで職人のような佇まいで一人机に向かい、ただひたすらペンを走らせている姿が印象的だった。この時「女の子はとにかく可愛く書かないとダメなんです」という言葉も妙に印象的に残っているのだが、なんだかこのギャップもまた職人らしさに拍車を掛けてしまうような、そんな印象を持っている。

漫画 12

茄子

黒田硫黄

スタジオジブリの映画「茄子・アンダルシアの夏(2003)」や続編「茄子・スーツケースの渡り鳥(2007)」をご覧になった方は多いと思うが、と同時に「茄子?」なんで「茄子?」と思った方もかなりの数いると思う。そしてそれらの奇妙な自転車ムービーに原作の漫画があったことを知っている方は意外にもあんまりいないんじゃないかなぁと感じている。全3巻。

黒田硫黄と言えば、絵筆を用いたまるで版画のような独特な絵柄でお馴染みだが、茄子という黒くて丸っこいあの造形物を描くにはもうもってこいなんじゃなかろうか、いやそんなことはどうでもいい、とにかくなぜ茄子なのか、茄子に纏わる、およそ茄子とは何の関係のない筋書きにさえ、強引に茄子をあてがう、茄子がなければ死んでしまう、そうして出来上がったこのお話は立派に全編「茄子による茄子のための茄子の物語」になっている。不思議なことに。

かなり前の話だがあの大友克洋のインタビューを読んだ時に漫画家のうちで自転車が流行していて云々という件があったので、もしかしたら短編アンダルシアの夏はその話と因果関係があるのかもしれない。だけどやっぱり茄子なんだよな。
ちなみにそのジブリ映画も本作の構成をあますところなく踏襲しているのはリスペクトゆえだろうと思う。それに僕が買った第1巻の帯では宮崎駿カントクが「このおもしろさが判る奴は本物だ。」と仰っているので、多分僕は本物。

漫画 9

ひきだしにテラリウム

九井諒子

現在各方面で話題の「ダンジョン飯」の作家がそれ以前に上梓した短編集3作のうちの1冊。珠玉の全33編、全1巻。

「ダンジョン飯」で見られるアイデアの源泉をそこかしかに垣間見ることが出来るまさにクリエイティブな表現の宝庫といっていい。ありとあらゆるジャンルを絶妙な構成でズラしていく、知的な妙というか、作家の思考実験というか、日常の気付きからなるそういう類の「遊び」をよくもまあこれだけ揃えたなと感心してしまった。いや作家にとって観察というのは極めて大事なんだなぁと。

絵だけでなく、文章だけでも成立しない、これはもうまさに漫画でしか出来ない表現のひとつだと思うし、それらひとつひとつの作品を無駄に肉付けせずシンプルな構成に落とし込んでいることも、分かりやすく「遊び」に付き合える要因だろうと思う。

もういちいち楽しい短編集なんだけれど、いくつかある短編のうち「旅行へ行きたい」で僕は腰を抜かすほど大笑いし、そのままもつれて椅子から転げ落ち足首を捻るという残念な事件を起こしたことがある。つまりはそういう作品です。

漫画 7

千年万年りんごの子

田中相

青森県は昭和中期の弘前市を舞台に、リンゴ農家に婿入りすることになった捨て子の「雪」くんと天真爛漫なリンゴの娘「朝日」さんの切ない夫婦の物語。全3巻。

図らずも村の禁忌を破ってしまった彼らの顛末を描いているのだが、風俗や伝説、オカルトめいたファンタジックな展開がどうだとか民俗学的なアプローチがどうだとか、そういう感想は正直野暮な気がする。捨て子の彼と大家族に生まれた彼女がグラデーションのように絆を深めていく愛のお話であるし、抗うことのできない壁にどう立ち向かっていったのか、という普遍的な生き方のお話でもある。

この物語の終盤、正直に告白すると感極まって涙が出てしまったのは、それまでの積み重ねに二人のドラマの終着点をきちんと読み取れたからであり、あるいはクライマックスまで間延びすることなく二人の情に寄り添うことができたからだと思う。これが初連載作品だとは本当に思えない。

小説 8

本にだって雄と雌があります

小田雅久仁

失礼ながらこんなふざけた表題で目を惹かないわけがない。しかしその実「本の位置を変えてはならない」という亡き父の遺言を破った主人公が遭遇する驚愕の光景と、そこから始まるミステリアスでユニークであらゆるジャンルが綯い交ぜになった壮大な冒険物なのである。

この物語に掛かれば偉人も日本語を喋るコミカルなただのおっさんと化すくらいのスケール感。とにかくもう夢中になって一気に読んでしまった。期せずして「少年の心を取り戻しちゃった…」という具合である。

この作品に登場するおびただしい知識量は、ちょうど図書館の本棚の端から端までを一緒くたにしたような、つまり本棚数個分の物語を破綻させずにひとつにまとめました的な印象。まさに本棚本。印象に残ったのはそういうカオスな物語であるにも関わらず、読んでいる最中にはその映像が鮮明に思い浮かぶこと。

もし自分が中学か高校の国語の教師だったら、夏休みの課題図書は間違いなくこの本にするつもりです。

小説 3

レプリカたちの夜

一條次郎

新潮ミステリー大賞を受賞したミステリーというよりミステリアスな大作。

一体どうしてこんなお話が出来たのか、ファンタジーでもありSFでもあり、そういったジャンルをすべて綯交ぜにしたような世界観。動物のレプリカ工場に努める主人公が絶滅したはずの生きたシロクマを目撃したところから物語が始まるのだが、まるでオーケストラを聴いているかのような盛り上げ方で不協和音も和音のひとつだと言わんばかりに進行していく。巻末にある膨大な参考文献リスト、科学・哲学・音楽に漫画、ジャンルもテーマもバラバラの何でもありの知識を作家というフィルターを通して、まったく新しい「知」を想像したまさにそのパターン。何があっても、何をやっても、それが現実的に或いは論理的に正しいかどうかなんて大した問題ではないのだ。

漫画 1

群青学舎

入江亜季

作家の入江亜季さんを知った初めての作品にして個人的な「好きな漫画作品10選」には絶対に入れたい不朽の名作。人間もいれば妖怪も化け物もいる、魔法使いもいればヤンキーも委員長もいる、様々な時代の様々な種類の学校(学園)を舞台に繰り広げられる日常と非日常の物語。全4巻。

どういうわけかこの作家の作品には数ある現代の作品の中でもズバ抜けて「手塚治虫」らしさを感じる。偉大な神から連綿と続いている漫画史においてもきっと真っ当な正統派の部類に入るんじゃなかろうか。もちろん絵作りの方法論などは記号では語れない細かさが十二分にあり、内容に沿った繊細で緻密なペン捌きを堪能できるし、コマ割りの具合も絶妙なのだが、どうにも古き良き漫画の体を見事に継いでくれているという感動の方が勝ってニヤリとしてしまう。