皐月文庫

とあるデザイナーが読了した本の記録と感想。小説、漫画、その他書籍全般、ジャンルを問わず、タイトルや装丁デザインにピンときた本を手当たり次第に読んでいます。皐月文庫についてお問い合わせ 分類 小説漫画その他 属性一覧 著者出版社タグ 但しビジネス書やいわゆる自己啓発本の類いには興味がありません。人間らしい生活感の溢れた物語作品が好きです。

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最終更新日2020年9月19日
その他 5

鶴見俊輔全漫画論・一

鶴見俊輔

日本の哲学・思想史を語る上で決して外すことの出来ない哲学者・評論家の鶴見俊輔(1922-2015)による漫画評論集。全2巻ではあるが内容が極めて濃いので一巻ごとに投稿する(僕は読破に2ヶ月を要した)。戦前に連載漫画というスタイルをとった国内初めての作品「正チャンの冒険」から、戦後昭和初期中期頃の長谷川町子、手塚治虫、水木しげる、白土三平、つげ義春など主に大衆文化によって育まれ、社会と密接に関わりのあった作家・作品を評論の題材としている。もともとは幾つかの誌面で掲載された評論をまとめたもの、と言えば本作の仕組みが分かりやすい。内容が重複する箇所もそれ故である。

鶴見俊輔と言えば、素行不良で中学を退学した上にアメリカへ放逐され、ハーバード大学でプラグマティズムなどを学び、帰国後はモノ言う思想家として「ベ平連(ベトナム平和連合)」の活動など、その界隈の哲学者にしては破天荒な人生を送った方なのだが、特に大衆文化としての「漫画」表現に並々ならぬ関心を持ち、これもまたその辺りの界隈では有名になった方なのだ。

日本漫画史における(特に安保闘争の起こった)60年代辺りの「知」としての漫画のあり方については正直なところ僕の感覚ではよく分からない。現代の漫画のような「商品」でなかった時代の今となっては違う意味での多様性に歴史的、社会的、あるいは作家の生い立ちや感性などを踏まえて哲学者として切れ味鋭く、しかし視線はあくまで大衆の側として実に大らかにアクティブに論じている。鶴見俊輔の言う「どんなに偉い学者でも主婦の持つ思想には敵わない」というスタンスが漫画評論のスタイルとして生きている。

本作は漫画の評論集でもあり貴重な漫画史を記した歴史書でもある。19世紀にアメリカで興った漫画文化から「正チャンの冒険」に受け継がれて最早100年以上、漫画の意味も意義も目紛しく変化してきたがその端緒を知る上でも本作は最良の一冊と言える。

漫画 23

イムリ

三宅乱丈

戦争によって原住民「イムリ」の暮らす惑星ルーンを凍結させた支配民「カーマ」は隣星マージに移り住み、奴隷として故郷を持たない「イコル」の民を一種の超能力である「侵犯術」によって使役しながら賢者を頂点とした支配体制を四千年も積み重ねていた。この物語は2つの惑星と3つの民族を軸に、カーマの青年「デュルク」を通して描かれるSF的超大作だ。全26巻。

昨今の妙に整理されたテンプレート感のあるデジタルライクな絵柄とは一線を画し、荒々しくも宗教画のような神々しささえ感じられる独特なタッチ、メカ好きな男の子諸氏が喜ぶようなロボットや宇宙船は出てこず、かといってレイ・ブラッドベリに影響を受けたようなかつての詩篇的耽美系SF漫画とは異なる、どちらかというと極めて現実的な、個と群、支配する側とされる側、持つ者と持たざる者の対比による差別や区別など生に近しい社会構造に一石を投じるようなハードな作品に仕上がっている。

「侵犯術」のような人の意識を操る超能力めいた力には、マインドコントロール的な何かを感じ取る読み手も多いだろう。あるいは権力や多数派に対して盲目的に追従する者への批判もあるのかもしれない。しかし正義だとか悪だとかの二元論以前に、人が本来持っているはずの「正しさ」をくすぐりながら、「間違っているかも」という小さな疑念に真っ向からスポットを当てる、ここに本作の意義があるように感じている。

14年という長い時間を掛けて完結した作品であること、巻末にある細かい設定資料集等を鑑みるに、かなり綿密に考え抜かれ用意されたストーリーであることが窺い知れる。そうして創り上げられた世界の中に浸って、重厚な人間ドラマを味わえる本作は最終巻の帯にあるようにまさに「圧倒的」だと感じるに違いない。

小説 25

青が破れる

町屋良平

殻を破ることが出来ないボクサーのひと「秋吉」と予想もしない方向に感情を爆発させる親友の「ハルオ」は、退っ引きならない病で入院しているハルオの彼女「とう子」さんのお見舞いに向かっている。死がすぐ目の前にあっても「老後の心配をしなくて済む」と朗らかに振る舞うとう子さんの姿。ジムの仲間「梅生」や不倫中の彼女「夏澄」とその子「陽」など、秋吉を取り巻く面々は、臆面もなく無邪気にもどこか老成している。この作品「青が破れる」の言葉の通り、端的に言ってしまえば「喪失」をテーマにしたいわゆる青春譚のひとつだ。

物語をレイアウトする、もしくは言葉をデザインする、といった類の評価の仕方があり、その題材に相応しいものは何かと言えば、本作はまさにうってつけのようにも思える。主人公「秋吉」の言葉は内外ともにプリミティブで、キャラクターの目線に立った文体が妙に生々しく見えてしまう。「知って」か「しって」なのか、そうした細かい漢字や仮名の使い分けに留まらず、キャラクターとしての逡巡が弾むようなリズムとテンポで描かれている点、言葉の少ない主人公の等身大の感覚に倣って掴み取ることが出来るリアルさ。この一種の肌感覚が本作の醍醐味のひとつだと思うし、そういった感情の変化変遷だけではなく、ボクシングや病室、車内の情景、川や街の風景にすら、鮮烈で荒々しい「味」や「音」「匂い」を漂わせてくるのは、何かを捨てても選び抜いた言葉がその世界にとって真に適切であり、「理に適っている」からではないか、そんなふうに感じて仕方がないのだ。

青春とは何か、という定義はもはや喧喧囂囂、言うことすら憚れる部分はあると思う。太古の昔からある通り「喪失」あるいは「解放」を謳い「ここではない何処か」へ歩みゆく様が青春であるとすれば、本作は一片の躊躇いもなく確信的で、かつアイデアに満ちたソリッドな青春文学だと断言してよいと思う。

小説 24

雨上がりの川

森沢明夫

川沿いに建つマンションの3階には編集者で夫の「川合淳」と元研究職員で妻の「杏子」、些細ないじめ問題から不登校になってしまった一人娘「春香」の3人が暮らしている。顔に傷を負い、引き篭もってしまった娘にどう接すればよいのか分からない夫、淀んだ川のようなぬるりとした状況の中、追い込まれた理論家の妻が次第に不可解な行動を見せ始める。その影には驚くべき異能の力で評判の一人の霊媒師の姿があった。

「霊能」や「霊視」といった怪しいワードがあり、本当にそれが「真」であるのか、疑いきれない絶妙なニュアンスを含ませつつ、ミステリアスな雰囲気を感じながら一気に読める作品、正直なところ物語の感触としては往年の探偵もの、推理小説に近い気がする。おそらくそういったジャンルに馴染みのない読者には読後の「解答」はきっと心地よく感じるはずだし、勘の良い読み手にとっても冒頭から随所に散りばめられた「トリック」にニヤリとするに違いない。そんな仕組みで登場人物のそれぞれに視点をあて、見方を限定させないやり方も緊張感を持続させるには持ってこいだったのだろう。事実、その結果として本筋である「ネタ」をうまい具合に覆い隠すことに成功しているし、「落ち」である答え合わせの際には臨場感さえ感じてしまった。「カタルシス」というとちょっと語弊があるかもしれないが、似たような清々しさに浸れるポジティブな物語だと思う。

もう一点特筆すべき事柄として、一貫して描かれる人間の持つ「正しさ」、善なるものの性質によってのみ物語が進んでいく点にある。それはもちろん胡散臭い敵役にも向けられていて、それぞれの事情を蔑ろにすることは決してない。どう解釈するかは人それぞれだとは思うが、こうした「優しさ」や「暖かさ」を本作の特徴として捉えてもきっと問題はないはずだ。

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小説 23

海の見える街

畑野智美

市立図書館の司書「本田」さんはインコを飼っている草食系男子。同僚で化粧っ気のない「日野」さんは「本田」さんからもらった亀を飼っており、階下の児童館に勤める「松田」さんは人には言えない趣味のせいで金魚に並々ならぬ思いがある。淡白だったその輪の中に、ある日派遣職員としてウサギを連れたコケティッシュな小悪魔系女子「鈴木」さんがやってくる。この物語はそんな3人+ワイルドカードな関係図で描かれる海辺の図書館を舞台にした恋愛小説だ。

題名の「海の見える街」の通り、ところどころにジブリ映画「魔女の宅急便」を想起させる設定が垣間見られる。特にその表題曲の雰囲気が似合うようなテンポで物語は進んでいくのだが、解説にあった「大人のための恋愛小説」というより、歯切れのいい心地よいリズム感で各個性のぶつかり合いを楽しむ群像劇のようである。

4人は各々固有の問題を抱えてはいるが、共通して友達が少なく、そして恋愛が上手くない。揃いも揃ってまあ何だろうこの人たちはと言いたくなるキャラクター像は、前述の動物「インコ」「亀」「金魚」「ウサギ」にもカラクリが施されていてるわけで、人間の側と動物の側のそれぞれに個性を忍ばせた挙句、図書館という特異な場所を舞台にした結果、不気味なほど妙にリアルな「個」を得てしまったのではないか。たとえばコメディのような非日常的な事件が起こっても違和感をまったく覚えないのは、そんなふうに多面的重層的に表現された彼らの個性に大きく依っているように思う。

恋愛ものにあまり詳しくない僕なんかでも、この物語には幾らでも深読みできる奥行きがあるんだろうなと、なんだかそんな「してやられた」感に最後まで取り憑かれたままだった。多重構造の恋愛小説、嫌いじゃないです。

漫画 22

ディザインズ

五十嵐大介

農薬会社から始まり、宇宙開発にまで事業を拡大したバイオ産業大手のサンモント社は、宇宙移民計画の一環として一人の天才科学者が開発したHA(ヒューマナイズド・アニマル)の実証実験を開始する。遺伝子操作によって生み出された新しいヒト。物語はやはり「自然」をテーマに、人間社会への批判をこれまでにないほどの痛烈さで展開するメッセージ色の強い作品に仕上がっている。全5巻。

一昔前に「恐竜が絶滅せずそのまま進化を続けることが出来たのなら、いずれ今日の人間のような体躯と知性を獲得したに違いない」という進化論的学説が話題になったことがある。こうして生まれたディノサウロイド(Dinosauroid)いわゆる恐竜人間は専門家界隈に限らず多方面に大きな影響を与えたと言っていい。本作はそうした進化という大きなテーマを軸に「生物の持つあらゆる可能性」について、自然の摂理の側にあるHAと、その可能性を大いに利用したい人間を描きながら、ヒトそのものやヒトが作り出した現代社会の問題あるいは矛盾を詳らかにしていく。

一方で大いなる自然とは正反対に人間とは何か、「人間」らしさとは何に依るものなのか、というような哲学めいたテーマも強く感じられる。自然の側に立ちながら「人間とは一体何ですか?」というような視線。そのために一切の妥協なくセリフや描写は苛烈に表現される。合理非合理の末に、我々は自然を操らなければその存在を許されない生物になってしまったのか、あるいはそれこそ作中で言う思春期の神が目論んだ進化の形なのか。

物語の最後、人間社会に翻弄された一人の少女とHA達との日常の一コマにある種の希望を見出しつつ、彼女のただ「認める」という姿勢にこそ、本作の答えがあるような気がした。

漫画 21

乱と灰色の世界

入江亜季

日本のどこかにある「灰町」の「漆間家」4人家族は全員が魔法使い。カラスを率いる職人のような佇まいの渋い父と魔力と色っぽさでは最強の母、肩で風を切りそうな高校生の長男に早く大人になりたい小学生の妹、この4人とその周囲を彩る様々な面々、この物語はそんな「魔法使い」たちが巻き起こす壮大な日常形冒険譚なのである。全7巻。

まあとにかく何でもアリのこのカオスな世界で、常識と非常識の合間を巧みに行き来しながら、信念めいた強固な世界観で物語をぐんぐん前へと進ませていく。登場するキャラクターが(外見や内面を問わず)それぞれ際立っている点も、この作品が持つ魅力と言えよう。もはやいい大人向けの煌びやかな少年(少女)漫画ではないかとさえ感じている。

ファンタジー作品というとその世界は完璧に架空のものであるわけだから、都合の良し悪しでしか語ることの出来ない危険性を孕んでもいる。そのためにルールや制限などを敢えて創造することになるわけだが、物語としてのクオリティだとかセンスだとかは、ほぼその部分に集約されると言っても過言ではない。翻って本作ではキャラクターや社会構造など至るところに的確な「縛り」を設けながら、アイデアは躊躇いなく自由に表現しており、その隙の無さには正直なところかなり参ってしまったのだった。

おそらくなのだが、作家自身の漫画的来歴をもって「好きなものを放り込んで煮詰めました」というような作品なんだと思う。その上で今日の漫画界の原初とも言える「トキワ荘」もしかしたら「二十四年組」世代へのリスペクト感をヒシヒシと感じてしまうのは、きっと僕だけではないはずだ。

その他 4

猫と針

恩田陸

ある風の強い日、高校で映画研究会に所属していた5人は、同窓生の葬式帰りに集まって昔話に花を咲かせる。中座して輪から外れる者が出ると、話題はその人物に切り替わる。ちょっとづつ現れる奇妙な出来事。いつしか話題は高校時代の謎めいたとある事件へと向いていく。喪服姿で語られるサスペンス劇。本作は小説ではなく、演劇用の戯曲、脚本(上演は「演劇集団キャラメルボックス」による)である。

映画「レザボア・ドッグス」に着想を得た、とあるが、残ったのは黒服とサスペンス的要素くらいで、ようは絵面としてのスタイリッシュさを求めた結果、葬式帰りのシチュエーションに落ち着いたという形だ。しかしだからと言って「クスッ」とするようなお目出度さはない、不気味なほど整然とした黒い人たちの静かな舞台であり、様々な仕掛け、構造が入れ子になって、その実一筋縄ではいかない物語になっている。内容をかいつまんでもきっとネタバレになってしまうと思うので詳細は避けるが、後書き解説にある演出家や演者が感じた小説っぽさというのは、筋書きから醸し出されているそういう複雑な緊張感によるのではないかなと感じている。

確かに台本とは演じられて初めて完成するものだ。こうして一冊の本になったとしても「作品だ」と言うことは憚られるのかもしれない。だが作家本人の日記的回顧録も掲載されており、共同作業のその一端を垣間見るいい機会ではあるし、小説家として戯曲を書く難しさ、特に演者たちによって気付かされたことなど、本人の率直な感想も併せて楽しめるものはそうそうないと思う次第だ。

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神去なあなあ日常

三浦しをん

フリーターでもやって食っていこうと心に決めた「平野勇気」は担任「熊やん」の策略にハマり、高校卒業と同時に三重の山奥で林業に従事することとなった。生まれ育った「横浜」とは違う、のんびりとした山奥の小さな集落「神去村」。果たして彼はいっぱしの「男」になれるのか、その奮闘ぶりを描いた青春模様。なおこの物語の後日譚「神去なあなあ夜話」含めて「神去シリーズ」全2巻。

「なあなあ」というのは方言のひとつで冒頭その説明から入るのだが、もうこの時点でこの作品の雰囲気が何となく読み取れてしまう。肩の力が抜けるような「ふわっ」とした感覚だ。これが実に気持ちがいい。そんな方言のマジックに彩られて、林業という過酷な仕事の裏と表を安心して受け取ることができてしまうのだ。

ところでこの「ふわっ」と感はどこからこの世界を見ているのかという「視点」にも影響を与えている気がする。例えば物語は主人公の「勇気」の目線で描かれているはずなのに、なぜかそれよりも強く上位の視点・存在を感じてしまいドキッとしてしまう。テーマとして大いなる自然を相手にしているからなのか、それともこの作家の為せる技なのか、どこか「勇気」の親にでもなった気分で、寄ったり引いたりを繰り返しながら、吸い付くように一気に読んでしまったのだった。

自然の厳しさや恐ろしさを知った上で、どのように山と向き合い、付き合ってきたのか、村の風習やそれにまつわる不思議な逸話など、物語の奥行きは想像以上に深く広がっている。都会らしさから切り離されて、ゆっくりとその山の一部となっていく「勇気」くんに優しい拍手を送りつつ、今ある自分が何をすべきか、ちょっとだけヒントをもらったようなそんな印象である。

小説 21

小説ヤマト運輸

高杉良

宅急便(登録商標)が関係省庁や地元業者との壮絶な駆け引きの末にようやく生まれたサービスであることを僕らはほとんど知らない。この国内すべてを網羅した流通革命はどのように始まったのか。ヤマト運輸創業からの歴史を紐解きながらその内実に迫る壮絶なドキュメンタリー。

企業間の配送業務(大口貨物)から、顧客を「個人」に変える「小口便」の構想。当然ながらこのアイデアは内外からの激しい反発に晒される。しかし反対のない新しさに意味はないとでも言うような不敵さで、信念を貫くその一連の流れを創業時にまで遡って淀みなく詳細に描いているのだ。

また歴史ある大企業ならではの「組合」に関することや、クロネコヤマトのロゴマークに関するある一社員の秘話なども語られており、そういった人材に関する指摘も興味深い。経営者としての手腕、特に二代に渡るトップの生き様もさることながら、社員それぞれの多様で複雑な人間ドラマでもあるわけで、表題の通り「小説」としての面白さもまさにこの点にあるように思う。

余談だが、僕は20代の半ば頃にヤマト運輸で数年ほど契約社員として働いていた経験がある。あの時、まず最初に品川にあった教育施設で様々な研修を受けたのだが、とにかく事故の話について延々と解説されたことを今でもよく覚えている。繁忙期には目も眩むような荷物の量で、秒ごとに捌かなければ間に合わない時間配達のキツさ、不在時のガッカリ感だとか、まだネット販売がなかった頃であの状態だったのだから、現況は推して知るべしだ。

漫画 20

ものするひと

オカヤイヅミ

作家の「スギウラ」は今日も「言葉」について考えている。ご飯を食べている時も、歯を磨いている時も、警備員のバイト中でさえ、やっぱり「言葉」に取り憑かれている。小説を書くという創作のアレコレを「スギウラ」から垣間見る、いわば小説家の生態観察日記。全3巻。

小説家の〜と書いたが、多分創作を生業としている人間全般の、と言っても差し支えないと思う。勿論ただただ内幕をさらけ出してその奇特さを面白がるような構成ではなく、もっと密に「モノを作る人」の日常における気付きや、ぐるぐると巡る思考の変遷など、そういったどうにも表現することが難しそうな積み重ねをいともあっさりと、しかも丁寧に描きつつ、さらに他者の思想が関わることでそういうアイデアはどう変化していくのか、作家としての宿命のような生き方をこの絵でしか成し得ないというくらいのデザインで端的に表現しているように思う。

正直なところ、どんな媒体にせよこの物語のテーマは実は結構難しいことなんじゃないかなぁと。よくよく考えてみれば作家自身のそのままを描けばよいというものでもないし、多数派の意見が正解なわけでもない、かといって絵空事で描いてしまえばただのおとぎ話になってしまう。何処に「真実」というリアルな軸を置くのか。この匙加減を間違えず「創作者の生態」を漫画として落とし込んだことに心から敬意を表したい。この作品を読み終えて僕はやっぱり「凄いな」と感服した次第です。

漫画 19

ニュクスの角灯

高浜寛

1867年開花期の日本・長崎。触れた物の過去や未来の持ち主を透視してしまう「美世」さんは、掴み所のない店主「モモ」が営む道具屋「蠻(ばん)」の売り子として雇われることとなった。世はまさに「パリ万博」。日本のものであれば工芸・美術品だけでなく、ただの包み紙ですらヨーロッパでは高値で取引される商品となる、これはそんな特別な時代で描かれる彼女と彼女を取り巻く人間たちの一種の冒険譚だ。全6巻。

幕末から明治初期に掛けての文化文明の混沌さは、僕個人としてはもはやスチームパンク的な面白さとイコールだったりする。その上で本書は「閉ざされてきた日本の文化風習」と「最先端の欧州文明」、まさに水と油のようなものの出会い、その端緒を紐解く一種の歴史書、解説書のような作りになっているのだ。

勿論そうは言ってもしっかり人間ドラマとしての体裁は外していないし、「大浦慶」や「松尾儀助」など実在した歴史上の人物の登場も物語に奥行きを与えていると言っていい。ただ一言(誤解を恐れずに)付け加えるならば、この物語では「女性」が大変強く色濃く描かれており、時代背景を考慮すれば、この点こそ本作におけるもうひとつの重大なテーマのように感じられたのだが。

いずれにせよ、作家の熱意というか「この時代、この世界は面白い、だから伝えたい」という欲のようものを嫌味なく受け取れる骨太の作品だと思う。

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