きみはだれかのどうでもいい人
伊藤朱里
県税事務所の納税部門に勤める二人、同じフロアの隣に配置されている総務部門の二人、とある事情で特別に採用された一人。年齢も立場も考え方も何もかもが違う女性五人の「個」がぶつかり合う模様を痛々しいまでに生々しく描いた傑作。物語に登場するすべての人物は結論から言ってしまえば表題の通り「だれかのどうでもいい人」なのかもしれないが、この小さなコミュニティの中で起こった事件や出来事の数々が多くの読者が思うであろう社会の縮図だとすれば、これほど身近で恐ろしく、また芯を突いた物語はない、そう思わせるほどの「どうでもよくない」力強さがある。
表面上は何処かにある事務所で日々の仕事のストレスに耐えながら淡々と業務を続けている女性たちのリアルな日常譚であり、20歳から50歳代の彼女ら女性公務員たちの奮闘記だ。一方でそういう体裁を保ちながら、人物の本質的な部分を抉り出すことに躊躇がなく、端的に言ってしまえば人間の醜い部分をきちんと露出させることでそれぞれの「個」の全体像を見せたいとする意図も見事に機能しているように思う。無論話はそんなに単純なものではないし、例えば無意識のうちにやってしまいそうな行動やパターンに言葉を与えたらどうなるのか、それぞれの関係性において仕掛けられた大実験の末に「個」とは何かみたいなものが詳らかになっていく作家の思考実験のような不思議な感触もある。
個人的にはこの物語をどのように思い描いたのか、どのような発想で書き連ねていったのか、作者の実体験なのか誰かの経験談なのか、その辺りがもう夜も眠れなくなるほどにものすごく気になるところだ。なんとなくではあるが、誰もが辟易するほどに人間を観察した結果ではなく、作家の内にある確固とした複数の人格を吐き出した、という感じがする。だからこそ内側に強烈に引っ張られるような感覚があり、容赦がないのだと思う。是非ご一読を。
内容を理解するには別の知識が必要か
特になし。
読み易さについて
人の内と外を行き来する境目のない物語であるがゆえに、文脈をきちんと理解しながら読み進められる読解力がある程度は必要。そういう意味では「慣れている」読者向け。
誰にでもお薦めできる内容か
本来であれば全方位へのある種の凄惨さを味わえる稀有な物語としてオススメしたいところではあるが、きっと読み手を選ぶだろうなという感触を拭い去ることが出来ないでいる。帯にあるように作家や評論家がベタ褒めするくらいの、つまり「その手」の作品なんだというイメージは持ちたくないし、文学的意義の高いと言われる数多くの名作(と呼ばれる)と安易に比べてしまうのはフェアではない気がする。難しいところではあるが、その実「こちら側」の作品であると思うし、まあとにかく読んでみようよ、というのが率直な意見です。