皐月文庫

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最終更新日2020年8月12日
小説 5

アサッテの人

諏訪哲史

群像新人文学賞と芥川賞をダブルで受賞。作者も書いているが小説による小説批判。物語すら壊してくる。「私」と読者とアサッテの人こと「私」の叔父と叔父の妻朋子さんの世界のお話。

哲学科出身の作者が綴る日常の中の宇宙とは、と言ったような一般人には至極どうでもいい学問を「いやいやどうでもよくない」と改めさせるに十分な問題作なのではないだろうか。メタフィクションの体をとりつつも、読み手と一体となって問題を捏ねくり回すこの物語には、他にはない緊張感があるのも事実。

「壊す」こと「分解する」ことについて創作のステップとしては正しいし、おそらく作り手の相当数が当たり前のこととして捉えていると思う。しかしその混み入った過程を論理的に示すことが、これほどの価値になるのかと作り手の多くはそう思うに違いない。そんなふうに真面目が過ぎたユーモアとそのズレを楽しみつつ、ニヤニヤとして一気に読んでしまったのだった。

小説 4

マレ・サカチのたったひとつの贈物

王城夕紀

「帰宅すると、彼女はいなくなっていた」自分の意思とは関係なく場所から場所へと一瞬に跳躍してしまう病、量子病に罹った女性の出会いと別れの物語。

腐り始めた資本主義社会が舞台の近未来SF小説でもある。量子力学の説明ではじまる第1節から148節まで、その言葉の選び方だとか文章自体の表現の美しさだとかは詩のようでもあるし、飽和する世界を飛び、出会い、気付き、そして真理に迫っていく純粋な成長譚でもある。

SFという括りではあるだろうし、そういった小道具やキーワードも多く使われているのだが、ともすればエンタメよりのファンタジックになりがちなSF的世界観ではなく良質なSF文学として大いに楽しめる作品だと思う。

小説 3

レプリカたちの夜

一條次郎

新潮ミステリー大賞を受賞したミステリーというよりミステリアスな大作。

一体どうしてこんなお話が出来たのか、ファンタジーでもありSFでもあり、そういったジャンルをすべて綯交ぜにしたような世界観。動物のレプリカ工場に努める主人公が絶滅したはずの生きたシロクマを目撃したところから物語が始まるのだが、まるでオーケストラを聴いているかのような盛り上げ方で不協和音も和音のひとつだと言わんばかりに進行していく。巻末にある膨大な参考文献リスト、科学・哲学・音楽に漫画、ジャンルもテーマもバラバラの何でもありの知識を作家というフィルターを通して、まったく新しい「知」を想像したまさにそのパターン。何があっても、何をやっても、それが現実的に或いは論理的に正しいかどうかなんて大した問題ではないのだ。

漫画 3

Spirit of Wonder

鶴田謙二

この作家の著作は他の作家に比べて圧倒的に少ない。この30年で10冊あるかどうかという状況において、(相当数いるとみている)マニアックでコアなファンの原初にしてバイブルのような短編集。デビュー作1編含む全12編全1巻。

「SFとはつまりロマンだ」を地でいくような甘くて優しい冒険譚を堪能できる一冊。水没した実家に潜水艇、エーテル気流理論、火星旅行、瞬間物質移動装置、そういったSF的ワードもこの世界では郷愁を誘うようなある種の美しさに満ちている。難しく考える必要もないし、言葉尻を捏ねくり回すこともない、それでもしっかりと冒険心や探究心をくすぐってくるような素直な物語たちなのだ。

ちなみにこの短編集に収録されている3編「チャイナさん」シリーズはその短い何十ページかでアニメ化までされている。

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漫画 2

イエスタデイをうたって

冬目景

コミックス第1巻が発刊されたのが1999年。最終巻である11巻は2015年、足掛け16年に渡って様々な意味で読者の気を揉み続けた大作(と言っていい)。後日譚や作家へのインタビューを載せた短編集「afterword」も含めて全12巻。

携帯電話もネットのやりとりも出てこない昭和のモラトリアムを味わえる。何も起きないし、何も始まらない、だがゆっくりと確実に掛かった時間以上の緩やかさで逡巡し葛藤する、それでも爆発するような激しさは勿論なく、どちらかと言えば下流の川の流れのようなそんな静けさ。おそらくこれが等身大というやつなんだと思う。

カラスを肩に乗せたハルというヒロインも決してエキセントリックなわけではない、もちろん「ああいたよねこういう娘」ということでもなく、何というか事も無げにただ在るというようなそういう感覚(或いは)描き方がこの物語では大事なポイント。

小説 2

とにかくうちに帰ります

津村記久子

表題の通りとにかくウチに帰りたいのだ。豪雨だろうが何だろうが、帰巣本能に従って帰るためのストーリー。

あらかじめ約束されたかのようなタイムラインで進行していくごくごく日常のありふれたお話。しかしそこはこの作家なので一筋縄ではいかない、どんな石ころにだって宇宙を与えてしまう観察力で壮大な物語に仕上がっている。不意に現れる名前、城之内さんは…、ファン・カルロス何とかは…、この絶妙な仕掛けに例え様のない生々しさがある。まるで今もすぐ隣で息をしていそうなそういう感覚。

ちなみに読了後ツイッターで呟いた率直な感想が多分一番分かりやすい、曰く「征服も救済もなく、罪も罰もなく、劇的な生も死もないごく普遍的な日常をそういった振幅の激しいドラマと同じ熱量で綴られている。とにかく観察の作家だと。人間が好きなのだと思う。面白い。そして大好物だ。この作家に出会えて良かったよ、本当に。」

漫画 1

群青学舎

入江亜季

作家の入江亜季さんを知った初めての作品にして個人的な「好きな漫画作品10選」には絶対に入れたい不朽の名作。人間もいれば妖怪も化け物もいる、魔法使いもいればヤンキーも委員長もいる、様々な時代の様々な種類の学校(学園)を舞台に繰り広げられる日常と非日常の物語。全4巻。

どういうわけかこの作家の作品には数ある現代の作品の中でもズバ抜けて「手塚治虫」らしさを感じる。偉大な神から連綿と続いている漫画史においてもきっと真っ当な正統派の部類に入るんじゃなかろうか。もちろん絵作りの方法論などは記号では語れない細かさが十二分にあり、内容に沿った繊細で緻密なペン捌きを堪能できるし、コマ割りの具合も絶妙なのだが、どうにも古き良き漫画の体を見事に継いでくれているという感動の方が勝ってニヤリとしてしまう。

小説 1

この世にたやすい仕事はない

津村記久子

極度のストレスで仕事を追われた主人公が、職安の担当員に紹介された奇妙で不思議でニッチな仕事の数々を淡々とこなしてく様を描いた作品。これだけ書くととてもじゃないが面白さの欠片もなさそうな内容なのに、この作家特有の観察と指摘によって驚天動地の大スペクタクルロマンに早変わりする。

心情をストレートに伝えるだとか実は何にも考えていないで適当にうった相槌だとか、そういう言葉のひとつひとつに「生活のある人間」の生々しさを感じてしまうのは、この作品の、というよりこの作家特有のセンスなんだろうと感じる。

登場人物たちは真摯に働いて生きようとしているはずなのに、読み手には奇妙で滑稽に映ってしまうこのズレを味わい、読みながら何度もニヤニヤするに違いない。表題の通り、この世にたやすい仕事なんかない、ひょっとすると、もしかしたら、あるいは、たやすい仕事があるのかもしれないが、作家はちゃんと「ない」と言い切っているのでこの小説のポイントは疑いようもなくそこですね。