皐月文庫

生活

  • 1
  • 1
蔵書数53
最新(1週間以内)
最終更新日2020年8月12日
小説 22

神去なあなあ日常

三浦しをん

フリーターでもやって食っていこうと心に決めた「平野勇気」は担任「熊やん」の策略にハマり、高校卒業と同時に三重の山奥で林業に従事することとなった。生まれ育った「横浜」とは違う、のんびりとした山奥の小さな集落「神去村」。果たして彼はいっぱしの「男」になれるのか、その奮闘ぶりを描いた青春模様。なおこの物語の後日譚「神去なあなあ夜話」含めて「神去シリーズ」全2巻。

「なあなあ」というのは方言のひとつで冒頭その説明から入るのだが、もうこの時点でこの作品の雰囲気が何となく読み取れてしまう。肩の力が抜けるような「ふわっ」とした感覚だ。これが実に気持ちがいい。そんな方言のマジックに彩られて、林業という過酷な仕事の裏と表を安心して受け取ることができてしまうのだ。

ところでこの「ふわっ」と感はどこからこの世界を見ているのかという「視点」にも影響を与えている気がする。例えば物語は主人公の「勇気」の目線で描かれているはずなのに、なぜかそれよりも強く上位の視点・存在を感じてしまいドキッとしてしまう。テーマとして大いなる自然を相手にしているからなのか、それともこの作家の為せる技なのか、どこか「勇気」の親にでもなった気分で、寄ったり引いたりを繰り返しながら、吸い付くように一気に読んでしまったのだった。

自然の厳しさや恐ろしさを知った上で、どのように山と向き合い、付き合ってきたのか、村の風習やそれにまつわる不思議な逸話など、物語の奥行きは想像以上に深く広がっている。都会らしさから切り離されて、ゆっくりとその山の一部となっていく「勇気」くんに優しい拍手を送りつつ、今ある自分が何をすべきか、ちょっとだけヒントをもらったようなそんな印象である。

漫画 20

ものするひと

オカヤイヅミ

作家の「スギウラ」は今日も「言葉」について考えている。ご飯を食べている時も、歯を磨いている時も、警備員のバイト中でさえ、やっぱり「言葉」に取り憑かれている。小説を書くという創作のアレコレを「スギウラ」から垣間見る、いわば小説家の生態観察日記。全3巻。

小説家の〜と書いたが、多分創作を生業としている人間全般の、と言っても差し支えないと思う。勿論ただただ内幕をさらけ出してその奇特さを面白がるような構成ではなく、もっと密に「モノを作る人」の日常における気付きや、ぐるぐると巡る思考の変遷など、そういったどうにも表現することが難しそうな積み重ねをいともあっさりと、しかも丁寧に描きつつ、さらに他者の思想が関わることでそういうアイデアはどう変化していくのか、作家としての宿命のような生き方をこの絵でしか成し得ないというくらいのデザインで端的に表現しているように思う。

正直なところ、どんな媒体にせよこの物語のテーマは実は結構難しいことなんじゃないかなぁと。よくよく考えてみれば作家自身のそのままを描けばよいというものでもないし、多数派の意見が正解なわけでもない、かといって絵空事で描いてしまえばただのおとぎ話になってしまう。何処に「真実」というリアルな軸を置くのか。この匙加減を間違えず「創作者の生態」を漫画として落とし込んだことに心から敬意を表したい。この作品を読み終えて僕はやっぱり「凄いな」と感服した次第です。

小説 20

海の仙人

絲山秋子

宝くじに当選して思わぬ大金を得た「河野」はさっさと会社を辞めて日本海を臨む福井県敦賀に移住する。不意に現れた不詳の神「ファンタジー」との共同生活、ジープに乗った年上の「かりん」との出会い、元同僚で何やら思いのある豪快な「片桐」、そんなふうに孤独だった「河野」へ徐々に加えられていく色や音。とにかくその神「ファンタジー」をどう読むかで、この物語の面白さは如何様にも変わってしまう、不思議な物語だ。

物語の構成としては本当にシンプルだと思う。ちょっとしたロードムービー的な展開もあるし、出会いと別れもきちんとある。誰もが孤独だし、でもどこかで誰かを必要としている、主人公「河野」はそれぞれの個性に振り回されながらも、「置いてきた」自分自身と向き合わなければならなくなる瞬間がある。そんな良質な人間ドラマを展開していく中で、異質の存在、神様「ファンタジー」とは一体何者なのか。

何の役にも立たないが、役に立たないなりの不思議な能力がある、ぶっきらぼうでいて、でもやっぱり神様らしい言葉を吐く。僕なんかは最後の二行で初めて彼の存在があったのだと思いたい派なんだが、要するにそんな奇妙(というより珍妙)な存在がこの物語に「居る」にもかかわらず、作中の何処でも何ら浮いた感じがしないのは読後から今以て謎のままだ。

漫画 17

たそがれたかこ

入江喜和

わけもなくフレンドリーな人が苦手なバツイチ45歳の「たかこ」さんは、挙動の怪しくなってきた自由な母とアパートに暮らしている。食堂のパート、母の世話、夕飯の買い出し、体力の衰え、不意に流れる涙、一人酒、etc…。そんな下り坂の人生で出会った怪しい男とラジオの声。45歳という(別の意味での)微妙なお年頃を描いた中年による中年のための物語。全10巻。

恋をしたっていいじゃないか、コラーゲンがいつの間にか増えてたっていいじゃないか、何かを始めるのに年齢なんか関係ねー、…同年代の彼ら彼女らに送るエール、と言ってしまえば一言で片付けられるのだが、この物語はそんなに生易しい筋書きではないし、「中年テンプレート」に必死に抗おうとするアレコレを描いているわけでもない。この物語の前後にも人生はあって、長い長い人生という時間の中年期を切り取ったようなそういう小市民的な悲喜交々を描いているに過ぎないのだ。だからこそ男女関係なく「たかこ」さんに寄り添える、そんなふうに思えて仕方がない。女性向けの漫画誌に掲載されていたとはいえ、同年代の「おっさん」にも間違いなく刺さるんじゃないかなぁ。

娘の「一花」ちゃんや別れた元旦那、そして気になる「向こう側」の彼二人など、ちょうどいい距離感、ちょうどいい時間の掛け方でゆっくりと波が立っていく。若者らしさはないかもしれないが、突き放すような老成感もない、このふわふわとした「黄昏時」を楽しむ最良の一冊として。

小説 18

論理と感性は相反しない

山崎ナオコーラ

難しい言葉でお茶を濁すような真似はせず、出来るだけシンプルに平易いな言葉を使って優しい文章を書きたい、的なスタンスの作家が送る一見して「何なんだこの小説は」という感じの作品。作家による真っ当な「小説」への破壊活動。それも思想犯というより愉快犯による犯行とでもいうような。

ああもう分かる、のめり込むくらいの、底のない沼というより水溜りくらいの面積で簡単にハマってしまう感覚。一読して早速「わかった、私はこの作家のことが好きなんだ」と思う読み手は多いんじゃなかろうか。距離感が妙に近いのは前述のスタンスも影響しているのかもしれないが、そんな具合で頭の後ろからくる視線に気付いて振り返ると、「近っ!」という感じで作家の(見たことない)顔があるような。うん、…分からん。

一応「神田川」さんと「真野」くんという主要な登場人物がおり、彼らと彼らの周囲にある細やかなコミュニティの、実に細やかな出来事を細切れにして脈絡なくつまみ上げたような形になっている。詳細に書いておきながら「え?」という感じであっさりと終止符を打ったり、「は?」という感じで唐突に始まった物語は「うっ」という感じで得体の知れない示唆のようなものを残していく。

これはもしかしたら作家という芸術家の、頭の中にある「論理」と「感性」を小説という形で象った一種の私小説なんでしょうか。

小説 17

電車道

磯﨑憲一郎

我慢のならなかった薬屋の男と選挙に落選し後に電鉄会社を興す男二人の生き様を軸に、ただの集落であったある町のおよそ100年に及ぶ変遷を丁寧に紡いだ物語。大震災や戦争、その後にあった高度経済成長など、近現代の日本に起こった様々な事件を背景に、鉄道と町、鉄道と人など、社会のインフラとしての鉄道の役割、それに関わる人間社会の変容などが壮大なスケール感で描かれている。

例えば「A列車で行こう」という鉄道を軸にした都市開発系のゲーム(1985~)があるが、ご存知の方には「ああ、なるほどそういう話ね」と思われるかもしれない。二人の男のうち、電鉄会社を興した男はプレイヤーであり、元薬屋の男は町を作る前に既に居たNPCというような図式だ。

鉄道の歴史。それも国家としての一大事業ではなく、今日で言う私鉄のそれ。小さな思惑がやがて国家の在り様も変えていくようなそういう単純なお話ではなく、鉄道という「道」の存在をベースにしながらも、二人の男の人間臭い個人の物語を丹念に積み重ねて、また彼らと彼らの思いが受け継がれていくことによって社会がどのように変容していったか、ここにこの物語の面白さ、特異性があるように思う。鉄路がレールの一本一本で繋がれているように、大きな世界と小さな視点をうまい具合に融合させてバランスよく時間を流す、この仕掛けこそ本作品の真髄と言ってもいいかもしれない。

小説 16

雪沼とその周辺

堀江敏幸

雪沼という山あいにある小さな町を舞台に、そこに営む様々な人間の在り様を描いた全7編。このうちの一編「スタンス・ドット」で川端康成文学賞を、表題の短編集全体で谷崎潤一郎賞及び木山捷平文学賞を受賞している。

ここで描かれている世界は取るに足らない人間の生活そのものでしかない。きっと何か別の媒体で、例えば映像化したとすれば誰もが想像するような過疎化した町の日常をやや冗長な画で切り取るくらいにしかならないだろうと思う。ところがそういう普遍的な人間の生き様を、この作品では人と物あるいは情と景のバランスを保ちながら、説明することの難しい緊迫感のようなもので間を紡ぎ、読み手の感情を前へ前へと走らせることに成功しているように思う。つまり文学でしか表現の出来ない「純」な作品なのだ。思うにこの感覚こそ、本小説の最も重要な点(様々な作品がある中)であって、代え難い魅力のひとつだと言えないだろうか。

「言葉のマジック」という評し方があるが、それに近い仕組みがあったとしても、煙に巻く様な言葉遣いでうやむやにせず、丁寧に丁寧に一文ずつ書いていった様なそういう印象の強い傑作だと個人的には感じている。

小説 13

とんび

重松清

昭和の親父「ヤス」さんの半生を追い、愛妻「美佐子」さんと、いずれ生まれる一人息子「アキラ」くんとの家族、父子の物語。

とんびという題名から察せられる通り、それは昭和のというよりもっとディープな下町感溢れる人情ものとして涙なしには読むことのできない絆の物語になっている。そしてもちろん方言で語られる言葉のマジックで、もうズルいとしか言い様のないお話と言っていいと思う。こうした人情ものというのは、もうこのご時世ではほとんど馴染みがなくなったし、下町という風景でさえ、もしかしたらレトロという言葉で片付けられてしまうような、郷愁のような響きさえある。そうした世界で「ヤス」さんが力強く前向きに家族のために生きることの素敵さ、暖かさのようなものをこれでもかと味わうことができるだろう。

父から子へ受け継がれていく思いだとか情だとか、単に絆という言葉で片付けられない、登場人物たちのそれぞれの思惑に打算のない優しさと切なさがあって、読みながらやっぱり涙を流してしまうようなそういう情景に満ちている。やりすぎだとか狙いすぎだとか、そういう感想もあるかもしれない。でもこれがこの世界の真実なんです。

漫画 12

茄子

黒田硫黄

スタジオジブリの映画「茄子・アンダルシアの夏(2003)」や続編「茄子・スーツケースの渡り鳥(2007)」をご覧になった方は多いと思うが、と同時に「茄子?」なんで「茄子?」と思った方もかなりの数いると思う。そしてそれらの奇妙な自転車ムービーに原作の漫画があったことを知っている方は意外にもあんまりいないんじゃないかなぁと感じている。全3巻。

黒田硫黄と言えば、絵筆を用いたまるで版画のような独特な絵柄でお馴染みだが、茄子という黒くて丸っこいあの造形物を描くにはもうもってこいなんじゃなかろうか、いやそんなことはどうでもいい、とにかくなぜ茄子なのか、茄子に纏わる、およそ茄子とは何の関係のない筋書きにさえ、強引に茄子をあてがう、茄子がなければ死んでしまう、そうして出来上がったこのお話は立派に全編「茄子による茄子のための茄子の物語」になっている。不思議なことに。

かなり前の話だがあの大友克洋のインタビューを読んだ時に漫画家のうちで自転車が流行していて云々という件があったので、もしかしたら短編アンダルシアの夏はその話と因果関係があるのかもしれない。だけどやっぱり茄子なんだよな。
ちなみにそのジブリ映画も本作の構成をあますところなく踏襲しているのはリスペクトゆえだろうと思う。それに僕が買った第1巻の帯では宮崎駿カントクが「このおもしろさが判る奴は本物だ。」と仰っているので、多分僕は本物。

小説 9

となり町戦争

三崎亜記

アパートの郵便受けに入っていた「となり町との戦争のお知らせ」、開戦の日を迎えても町内はいつもと変わらない。だがある日あった町内広報誌には転出・転入・出生に加えて「戦死者」の数が示されていた…。

こんな導入で始まる主人公の住む舞坂町と「となり町」との見えない戦争を描いた物語。恐ろしいほどの空虚さの中で、徐々に現実味を帯びてくる戦争という状況。見えない恐怖に巻き込まれていく異様な様を緊張感を持って体感することができる一冊。なぜ戦争なのか、なぜ戦死者が出るのか、そういうミステリアスなテーマはもちろんのことだが、何より荒唐無稽なSFでもファンタジーでもない実社会と同様の世界観で描かれていることに注目したい。

もし明日郵便受けに出し抜けに「戦争のお知らせ」が入っていたら…。

漫画 4

プリンセスメゾン

池辺葵

居酒屋チェーンで働く沼越さんの「家」を買うためのお話。全6巻。居酒屋の同僚、モデルルームのスタッフ、その関係者、手の届く距離のごくごく小さな範囲で繰り広げられる「居場所」の物語。

まったく唐突に「幸せ」って何だろうと思う。ふと思いついた夢だとか希望のような小さくても前向きな思いを詰め込んだようなそういう感覚こそ、この物語の大きなテーマのように感じる。そう別に小さくてもいいのだ。この作品の中の登場人物たちは誰もがその小さな幸せを大きなテーマとして抱えている。悩みもするし、失敗もする、誰もが日々出会うような小さな岐路に逡巡する、そういう様子がとにかく愛おしい。そうとにかく愛おしいのです。