皐月文庫

仕事

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最終更新日2021年3月21日
漫画 26

夜明けの図書館

埜納タオ

新人司書として暁月(あかつき)市立図書館に勤務することとなった「葵ひなこ(25歳)」のレファレンスサービスにおける奮闘ぶりを描いたいわゆるお仕事もの。一人の司書を通じて語られる図書館の様々な事情、「公共の書架」に馴染みのない方々には驚くような実態を垣間見られる稀有な物語と言ってよいと思う。連載期間約10年の歳月を掛けてこの度めでたく完結した、全7巻。

本好きにとって図書館は書店と並ぶ聖地のひとつではある。一方そこまでの本好きではなかったとしても図書館に対する感覚というのはおそらく共通してもっとも気軽に赴ける「公共施設」と言っていいだろう(実を言うとそうした各図書館ごとに蔵書のジャンルなどで特徴があることを知る人は多くはないかもしれない)。とにかく各都市・各地域には必ずあるこの図書館という存在とそこで働く司書、そして利用する側の様々な人間模様と照らし合わせて物語の核を成しているのが本書の特徴だ。司書が単なる「図書館の受付の人」ではなく、レファレンスというサービスを通じて「人」や「地域」とどう関わっていくのか、そうした「コミュニケーション」を「発見(もしくは再発見)」というゴールに向かって醸成されていく様を存分に楽しめる。

「図書の守り人」とはよく言ったものだがそれだけではないある種の謎解き要素「探偵もの」のような、事実や真実をひとつひとつ丁寧に紐解いていく過程は非常に興味深い。「答え」として何が適切なのか、過去の事情を照らし合わせたり、将来への事情を汲み取ったり、極めてドラマチックな言い換えれば人間味の溢れるストーリーを堪能出来ると思う。

地味に次巻を楽しみにしていた作品なので完結は少々寂しい気もする。主人公「ひなこ」の成長はまだまだ途上ではあるし、課題や問題は日々新しく上書きされていくに違いない。一方で「図書館」とそこにある「地域」の共生は今に始まったことではないし、終わったわけでもないのだ。長く続くある瞬間の一コマをただ切り取っただけに過ぎず、つまりは清々しいほどにサラリとした終幕こそ正解と思い込むことにした次第だ。

小説 26

みかづき

森絵都

実家の問屋業が失敗し、若くして働くことになった「大島吾郎」は小学校の用務員職に就く。しばらくして勉強の出来ない子供たちの面倒を見るようになると、信念のような独自の考え方で子供たちを導き、いつしかそれは「大島教室」と呼ばれるほどの評判となった。この物語はその吾郎と彼に私塾運営を託した後の妻「千明」、連れ子を含む3人の娘たちに彼女らの孫の3世代にわたって学校と塾の官民含めた日本の戦後教育を紐解く壮大な大河ドラマに仕上がっている。

3代続く大島家は、それぞれの時代性、時代の風潮をその個性にしっかり反映させている。戦前に教育を受けた人間の教育に対する疑念あるいは理想に始まり、詰め込み教育と揶揄された世代、受験戦争、そしてゆとり世代と明治から続く教育の諸問題は昭和平成に至ってもなお、結局は時の潮流と切り離すことは出来ない。政治や経済に振り回されながら教育とはどうあるべきか、答えることが難しい数々の問いに大島家の面々は立ち向かっていく。

一方で主人公と呼べる存在は作中には表立って描かれない子供たち自身とも言える。そういう意味で言えば千葉県八千代台という新興住宅地を舞台にした点も同様に作中で描かれる世代交代は非常に興味深く読めた。単に「子供が大人になる」だけではなく「子が親になる」ことの意味も含めて、本作は共通する「教育の何たるか」を考える良いきっかけになるだろうと思う。

僕ら団塊ジュニア世代にとって学問とはライバルを蹴落とすための「手段」であったという感覚を否定することが出来ない。学力とは知識とは等と論じる前にその結果が試験の点数に結びついていることを嫌が応にも叩き込まれた口だ。受験戦争とはよく言ったもので、今この年になっても「教育」という言葉にあまり良い思い出がないのも事実であるし、何よりその結果の就職氷河期なのだから多感な十代の頃を無駄にしてしまったのではないかという無念ささえ拭えないでいる。そういう観点からでも本書の描く世界というのは実に興味深く、また実態の伴った生々しい感触を得られる貴重な資料だと言える。そしてその世代にある個人としてもこの物語が深く心に残ったことを付しておきたい。

小説 23

海の見える街

畑野智美

市立図書館の司書「本田」さんはインコを飼っている草食系男子。同僚で化粧っ気のない「日野」さんは「本田」さんからもらった亀を飼っており、階下の児童館に勤める「松田」さんは人には言えない趣味のせいで金魚に並々ならぬ思いがある。淡白だったその輪の中に、ある日派遣職員としてウサギを連れたコケティッシュな小悪魔系女子「鈴木」さんがやってくる。この物語はそんな3人+ワイルドカードな関係図で描かれる海辺の図書館を舞台にした恋愛小説だ。

題名の「海の見える街」の通り、ところどころにジブリ映画「魔女の宅急便」を想起させる設定が垣間見られる。特にその表題曲の雰囲気が似合うようなテンポで物語は進んでいくのだが、解説にあった「大人のための恋愛小説」というより、歯切れのいい心地よいリズム感で各個性のぶつかり合いを楽しむ群像劇のようである。

4人は各々固有の問題を抱えてはいるが、共通して友達が少なく、そして恋愛が上手くない。揃いも揃ってまあ何だろうこの人たちはと言いたくなるキャラクター像は、前述の動物「インコ」「亀」「金魚」「ウサギ」にもカラクリが施されていてるわけで、人間の側と動物の側のそれぞれに個性を忍ばせた挙句、図書館という特異な場所を舞台にした結果、不気味なほど妙にリアルな「個」を得てしまったのではないか。たとえばコメディのような非日常的な事件が起こっても違和感をまったく覚えないのは、そんなふうに多面的重層的に表現された彼らの個性に大きく依っているように思う。

恋愛ものにあまり詳しくない僕なんかでも、この物語には幾らでも深読みできる奥行きがあるんだろうなと、なんだかそんな「してやられた」感に最後まで取り憑かれたままだった。多重構造の恋愛小説、嫌いじゃないです。

小説 22

神去なあなあ日常

三浦しをん

フリーターでもやって食っていこうと心に決めた「平野勇気」は担任「熊やん」の策略にハマり、高校卒業と同時に三重の山奥で林業に従事することとなった。生まれ育った「横浜」とは違う、のんびりとした山奥の小さな集落「神去村」。果たして彼はいっぱしの「男」になれるのか、その奮闘ぶりを描いた青春模様。なおこの物語の後日譚「神去なあなあ夜話」含めて「神去シリーズ」全2巻。

「なあなあ」というのは方言のひとつで冒頭その説明から入るのだが、もうこの時点でこの作品の雰囲気が何となく読み取れてしまう。肩の力が抜けるような「ふわっ」とした感覚だ。これが実に気持ちがいい。そんな方言のマジックに彩られて、林業という過酷な仕事の裏と表を安心して受け取ることができてしまうのだ。

ところでこの「ふわっ」と感はどこからこの世界を見ているのかという「視点」にも影響を与えている気がする。例えば物語は主人公の「勇気」の目線で描かれているはずなのに、なぜかそれよりも強く上位の視点・存在を感じてしまいドキッとしてしまう。テーマとして大いなる自然を相手にしているからなのか、それともこの作家の為せる技なのか、どこか「勇気」の親にでもなった気分で、寄ったり引いたりを繰り返しながら、吸い付くように一気に読んでしまったのだった。

自然の厳しさや恐ろしさを知った上で、どのように山と向き合い、付き合ってきたのか、村の風習やそれにまつわる不思議な逸話など、物語の奥行きは想像以上に深く広がっている。都会らしさから切り離されて、ゆっくりとその山の一部となっていく「勇気」くんに優しい拍手を送りつつ、今ある自分が何をすべきか、ちょっとだけヒントをもらったようなそんな印象である。

小説 21

小説ヤマト運輸

高杉良

宅急便(登録商標)が関係省庁や地元業者との壮絶な駆け引きの末にようやく生まれたサービスであることを僕らはほとんど知らない。この国内すべてを網羅した流通革命はどのように始まったのか。ヤマト運輸創業からの歴史を紐解きながらその内実に迫る壮絶なドキュメンタリー。

企業間の配送業務(大口貨物)から、顧客を「個人」に変える「小口便」の構想。当然ながらこのアイデアは内外からの激しい反発に晒される。しかし反対のない新しさに意味はないとでも言うような不敵さで、信念を貫くその一連の流れを創業時にまで遡って淀みなく詳細に描いているのだ。

また歴史ある大企業ならではの「組合」に関することや、クロネコヤマトのロゴマークに関するある一社員の秘話なども語られており、そういった人材に関する指摘も興味深い。経営者としての手腕、特に二代に渡るトップの生き様もさることながら、社員それぞれの多様で複雑な人間ドラマでもあるわけで、表題の通り「小説」としての面白さもまさにこの点にあるように思う。

余談だが、僕は20代の半ば頃にヤマト運輸で数年ほど契約社員として働いていた経験がある。あの時、まず最初に品川にあった教育施設で様々な研修を受けたのだが、とにかく事故の話について延々と解説されたことを今でもよく覚えている。繁忙期には目も眩むような荷物の量で、秒ごとに捌かなければ間に合わない時間配達のキツさ、不在時のガッカリ感だとか、まだネット販売がなかった頃であの状態だったのだから、現況は推して知るべしだ。

漫画 19

ものするひと

オカヤイヅミ

作家の「スギウラ」は今日も「言葉」について考えている。ご飯を食べている時も、歯を磨いている時も、警備員のバイト中でさえ、やっぱり「言葉」に取り憑かれている。小説を書くという創作のアレコレを「スギウラ」から垣間見る、いわば小説家の生態観察日記。全3巻。

小説家の〜と書いたが、多分創作を生業としている人間全般の、と言っても差し支えないと思う。勿論ただただ内幕をさらけ出してその奇特さを面白がるような構成ではなく、もっと密に「モノを作る人」の日常における気付きや、ぐるぐると巡る思考の変遷など、そういったどうにも表現することが難しそうな積み重ねをいともあっさりと、しかも丁寧に描きつつ、さらに他者の思想が関わることでそういうアイデアはどう変化していくのか、作家としての宿命のような生き方をこの絵でしか成し得ないというくらいのデザインで端的に表現しているように思う。

正直なところ、どんな媒体にせよこの物語のテーマは実は結構難しいことなんじゃないかなぁと。よくよく考えてみれば作家自身のそのままを描けばよいというものでもないし、多数派の意見が正解なわけでもない、かといって絵空事で描いてしまえばただのおとぎ話になってしまう。何処に「真実」というリアルな軸を置くのか。この匙加減を間違えず「創作者の生態」を漫画として落とし込んだことに心から敬意を表したい。この作品を読み終えて僕はやっぱり「凄いな」と感服した次第です。

漫画 18

ニュクスの角灯

高浜寛

1867年開花期の日本・長崎。触れた物の過去や未来の持ち主を透視してしまう「美世」さんは、掴み所のない店主「モモ」が営む道具屋「蠻(ばん)」の売り子として雇われることとなった。世はまさに「パリ万博」。日本のものであれば工芸・美術品だけでなく、ただの包み紙ですらヨーロッパでは高値で取引される商品となる、これはそんな特別な時代で描かれる彼女と彼女を取り巻く人間たちの一種の冒険譚だ。全6巻。

幕末から明治初期に掛けての文化文明の混沌さは、僕個人としてはもはやスチームパンク的な面白さとイコールだったりする。その上で本書は「閉ざされてきた日本の文化風習」と「最先端の欧州文明」、まさに水と油のようなものの出会い、その端緒を紐解く一種の歴史書、解説書のような作りになっているのだ。

勿論そうは言ってもしっかり人間ドラマとしての体裁は外していないし、「大浦慶」や「松尾儀助」など実在した歴史上の人物の登場も物語に奥行きを与えていると言っていい。ただ一言(誤解を恐れずに)付け加えるならば、この物語では「女性」が大変強く色濃く描かれており、時代背景を考慮すれば、この点こそ本作におけるもうひとつの重大なテーマのように感じられたのだが。

いずれにせよ、作家の熱意というか「この時代、この世界は面白い、だから伝えたい」という欲のようものを嫌味なく受け取れる骨太の作品だと思う。

著者
出版社
漫画 17

星の案内人

上村五十鈴

人気のない町外れの森の奥にひっそりと建つ「小宇宙」は「じいちゃん」がたった一人で作り上げた小さなプラネタリウム。観覧料はたったの100円。小さな「トキオ」くん、その叔母の「ふみ」さん、引き寄せられるようにプラネタリウムにやってくる悩めるたくさんの人々。何処までも真っ直ぐな「じいちゃん」と語られる星々の物語に彼らの心は癒されていく。全4巻。

ストレートな癒しだと思う。勿論「じいちゃん」の真っ直ぐなキャラクターに拠るところは大きいのだけれども、星々の、星座の、あるいは神話というスケールの大きさも相俟って「人間の悩みなんかあなたが感じるよりも小さいんですよ」的なポイントを突き上手いこと対比させている。人によっては説教くさいと感じるかもしれないし、当人にとって物事はそれほど単純ではないと思うかもしれない。そんな時やっぱり掛けた時間の年の功、「頑張らなくていい」「ありのままでいい」そんな「じいちゃん」の優しいエールに撫でられて、心地よく読み進めることが出来る。

プラネタリウムにハマる人、結構いると思います。星の話、星座の話、その壮大な物語に惹かれる人も多いんじゃないかな、子供の頃、あんなに見上げてたのに、気付けば足元ばかり見ているようなそんな方にはきっと良いヒラメキを与えてくれるザ・癒し系漫画。どうでしょうか。

漫画 16

たそがれたかこ

入江喜和

わけもなくフレンドリーな人が苦手なバツイチ45歳の「たかこ」さんは、挙動の怪しくなってきた自由な母とアパートに暮らしている。食堂のパート、母の世話、夕飯の買い出し、体力の衰え、不意に流れる涙、一人酒、etc…。そんな下り坂の人生で出会った怪しい男とラジオの声。45歳という(別の意味での)微妙なお年頃を描いた中年による中年のための物語。全10巻。

恋をしたっていいじゃないか、コラーゲンがいつの間にか増えてたっていいじゃないか、何かを始めるのに年齢なんか関係ねー、…同年代の彼ら彼女らに送るエール、と言ってしまえば一言で片付けられるのだが、この物語はそんなに生易しい筋書きではないし、「中年テンプレート」に必死に抗おうとするアレコレを描いているわけでもない。この物語の前後にも人生はあって、長い長い人生という時間の中年期を切り取ったようなそういう小市民的な悲喜交々を描いているに過ぎないのだ。だからこそ男女関係なく「たかこ」さんに寄り添える、そんなふうに思えて仕方がない。女性向けの漫画誌に掲載されていたとはいえ、同年代の「おっさん」にも間違いなく刺さるんじゃないかなぁ。

娘の「一花」ちゃんや別れた元旦那、そして気になる「向こう側」の彼二人など、ちょうどいい距離感、ちょうどいい時間の掛け方でゆっくりと波が立っていく。若者らしさはないかもしれないが、突き放すような老成感もない、このふわふわとした「黄昏時」を楽しむ最良の一冊として。

小説 19

春を背負って

笹本稜平

脱サラして亡くなった父の山小屋を継いだ「長嶺亨」は、山の仲間や登山者らとの交流を通じ、それぞれが抱える事情と向き合いながら奥秩父の山岳地帯を舞台に「山の人」として成長していく姿を描く。

「山岳小説」という分類があるように山を舞台にした作品にはひとつのジャンルを形成できるほどの独特の雰囲気があるように思う。特に山がちなこの国の事情を考えれば、誰もが簡単に入り込めるような身近な自然の脅威として一層強く感じるに違いない。この物語ではそういう山の厳しさを表す一方、主人公の「亨」を筆頭とした登場人物たちすべてを暖かさ優しさの象徴として描いている点に注目したい。勿論、それぞれに迷いはあるし、周囲に助けられることで乗り越えていく部分はある、それでも悪意や絶望すら包み込んで、ただ誰かを助けようとするその姿勢に言い様のない鮮烈さを受けたのだった。

山岳ものというとどうしても山という自然の恐ろしさ、それ故起こる悲劇といった普遍的な物語性があるように見える。しかしこの作品ではそこから一歩引いて、人間の持つ生命力のようなものに焦点を当てて「生き抜くこと」ではなくもっと純粋に「生きる」ということそのものを描いていると感じる。

「山」という極限の舞台で助け合いながら生きていく様。そして、あくまで人のうちにあるお話。読み終えた後の率直な感想としてはそういう印象なのだ。

小説 17

電車道

磯﨑憲一郎

我慢のならなかった薬屋の男と選挙に落選し後に電鉄会社を興す男二人の生き様を軸に、ただの集落であったある町のおよそ100年に及ぶ変遷を丁寧に紡いだ物語。大震災や戦争、その後にあった高度経済成長など、近現代の日本に起こった様々な事件を背景に、鉄道と町、鉄道と人など、社会のインフラとしての鉄道の役割、それに関わる人間社会の変容などが壮大なスケール感で描かれている。

例えば「A列車で行こう」という鉄道を軸にした都市開発系のゲーム(1985~)があるが、ご存知の方には「ああ、なるほどそういう話ね」と思われるかもしれない。二人の男のうち、電鉄会社を興した男はプレイヤーであり、元薬屋の男は町を作る前に既に居たNPCというような図式だ。

鉄道の歴史。それも国家としての一大事業ではなく、今日で言う私鉄のそれ。小さな思惑がやがて国家の在り様も変えていくようなそういう単純なお話ではなく、鉄道という「道」の存在をベースにしながらも、二人の男の人間臭い個人の物語を丹念に積み重ねて、また彼らと彼らの思いが受け継がれていくことによって社会がどのように変容していったか、ここにこの物語の面白さ、特異性があるように思う。鉄路がレールの一本一本で繋がれているように、大きな世界と小さな視点をうまい具合に融合させてバランスよく時間を流す、この仕掛けこそ本作品の真髄と言ってもいいかもしれない。

小説 16

雪沼とその周辺

堀江敏幸

雪沼という山あいにある小さな町を舞台に、そこに営む様々な人間の在り様を描いた全7編。このうちの一編「スタンス・ドット」で川端康成文学賞を、表題の短編集全体で谷崎潤一郎賞及び木山捷平文学賞を受賞している。

ここで描かれている世界は取るに足らない人間の生活そのものでしかない。きっと何か別の媒体で、例えば映像化したとすれば誰もが想像するような過疎化した町の日常をやや冗長な画で切り取るくらいにしかならないだろうと思う。ところがそういう普遍的な人間の生き様を、この作品では人と物あるいは情と景のバランスを保ちながら、説明することの難しい緊迫感のようなもので間を紡ぎ、読み手の感情を前へ前へと走らせることに成功しているように思う。つまり文学でしか表現の出来ない「純」な作品なのだ。思うにこの感覚こそ、本小説の最も重要な点(様々な作品がある中)であって、代え難い魅力のひとつだと言えないだろうか。

「言葉のマジック」という評し方があるが、それに近い仕組みがあったとしても、煙に巻く様な言葉遣いでうやむやにせず、丁寧に丁寧に一文ずつ書いていった様なそういう印象の強い傑作だと個人的には感じている。