皐月文庫

奇妙

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最終更新日2020年8月12日
小説 18

論理と感性は相反しない

山崎ナオコーラ

難しい言葉でお茶を濁すような真似はせず、出来るだけシンプルに平易いな言葉を使って優しい文章を書きたい、的なスタンスの作家が送る一見して「何なんだこの小説は」という感じの作品。作家による真っ当な「小説」への破壊活動。それも思想犯というより愉快犯による犯行とでもいうような。

ああもう分かる、のめり込むくらいの、底のない沼というより水溜りくらいの面積で簡単にハマってしまう感覚。一読して早速「わかった、私はこの作家のことが好きなんだ」と思う読み手は多いんじゃなかろうか。距離感が妙に近いのは前述のスタンスも影響しているのかもしれないが、そんな具合で頭の後ろからくる視線に気付いて振り返ると、「近っ!」という感じで作家の(見たことない)顔があるような。うん、…分からん。

一応「神田川」さんと「真野」くんという主要な登場人物がおり、彼らと彼らの周囲にある細やかなコミュニティの、実に細やかな出来事を細切れにして脈絡なくつまみ上げたような形になっている。詳細に書いておきながら「え?」という感じであっさりと終止符を打ったり、「は?」という感じで唐突に始まった物語は「うっ」という感じで得体の知れない示唆のようなものを残していく。

これはもしかしたら作家という芸術家の、頭の中にある「論理」と「感性」を小説という形で象った一種の私小説なんでしょうか。

漫画 14

銃座のウルナ

伊図透

前線への軍務を志願した狙撃兵「ウルナ」は、女性ばかりが集められた最前線基地「リズル島」へ赴任する。この物語は異形の蛮族ヅードとの戦いを通じ、心身ともに傷を負ったウルナの生き様と戦争という狂乱の中で巻き起こる罪と罰とも言うべき愛のお話だ。全7巻。

すべてが架空のSFではあるが、多くの傑作作品と同様それは世界を彩るただの風景に過ぎない。全てが作家によって創造されたその世界で、人間のもしくは社会の残酷な本質を突こうとする。物語はウルナ個人のものであっても、むしろ彼女を取り巻く世界こそ綿密に描かれ、まるでヨーロッパのどこかの国で実際にあったかのようなそういう生々しさに溢れているのだ。しかしこれは少々月並みすぎる感想かもしれない。ただこの詳細な設定こそ本作の醍醐味のひとつであり、そして何故SFというジャンルで、またあれほどまでに異形の姿をした怪物をださなければならなかったのか、ここにこの物語の楽しみ方の一端があるように思う。

以前の作品も同様な異質さ、リアルさで賞歴もあるわけだが、これから先もずっと楽しみにしていきたい作家の一人。

漫画 12

茄子

黒田硫黄

スタジオジブリの映画「茄子・アンダルシアの夏(2003)」や続編「茄子・スーツケースの渡り鳥(2007)」をご覧になった方は多いと思うが、と同時に「茄子?」なんで「茄子?」と思った方もかなりの数いると思う。そしてそれらの奇妙な自転車ムービーに原作の漫画があったことを知っている方は意外にもあんまりいないんじゃないかなぁと感じている。全3巻。

黒田硫黄と言えば、絵筆を用いたまるで版画のような独特な絵柄でお馴染みだが、茄子という黒くて丸っこいあの造形物を描くにはもうもってこいなんじゃなかろうか、いやそんなことはどうでもいい、とにかくなぜ茄子なのか、茄子に纏わる、およそ茄子とは何の関係のない筋書きにさえ、強引に茄子をあてがう、茄子がなければ死んでしまう、そうして出来上がったこのお話は立派に全編「茄子による茄子のための茄子の物語」になっている。不思議なことに。

かなり前の話だがあの大友克洋のインタビューを読んだ時に漫画家のうちで自転車が流行していて云々という件があったので、もしかしたら短編アンダルシアの夏はその話と因果関係があるのかもしれない。だけどやっぱり茄子なんだよな。
ちなみにそのジブリ映画も本作の構成をあますところなく踏襲しているのはリスペクトゆえだろうと思う。それに僕が買った第1巻の帯では宮崎駿カントクが「このおもしろさが判る奴は本物だ。」と仰っているので、多分僕は本物。

漫画 8

惑星クローゼット

つばな

夢と現実の境界が曖昧になってくると、当然のことながらファンタジックで素敵な世界が広がるのかと思いきや、それはもう異形の生物が跋扈する不気味な世界への扉でしかなかった、的なSFチックなホラーテイストのある奇妙な物語。全4巻。

この作者の前作「第七女子会彷徨」もそれはもう奇妙な物語だったが、今作はまさにストレートな異形のお話なのである。読んでいる最中に思い出したのは偉大なる大漫画家楳図かずおの「漂流教室」、当然その系譜に則ってギョッとする展開やキャラクターが多数登場する。何と言うかこの可愛らしい絵柄におよそ相応しくない不気味な物体が平然と次のコマや次のページに現れるのだ。

さて第1巻の帯には「百合×SFサバイバル」との謳い文句があるが最終巻まで読めばそれが実際はどういうことなのか判明する。長くもなく短くもない程よい巻数で奇妙でユニークな、そして切なく優しい世界を味わうには最良の一冊だと思います。

著者
出版社
小説 5

アサッテの人

諏訪哲史

群像新人文学賞と芥川賞をダブルで受賞。作者も書いているが小説による小説批判。物語すら壊してくる。「私」と読者とアサッテの人こと「私」の叔父と叔父の妻朋子さんの世界のお話。

哲学科出身の作者が綴る日常の中の宇宙とは、と言ったような一般人には至極どうでもいい学問を「いやいやどうでもよくない」と改めさせるに十分な問題作なのではないだろうか。メタフィクションの体をとりつつも、読み手と一体となって問題を捏ねくり回すこの物語には、他にはない緊張感があるのも事実。

「壊す」こと「分解する」ことについて創作のステップとしては正しいし、おそらく作り手の相当数が当たり前のこととして捉えていると思う。しかしその混み入った過程を論理的に示すことが、これほどの価値になるのかと作り手の多くはそう思うに違いない。そんなふうに真面目が過ぎたユーモアとそのズレを楽しみつつ、ニヤニヤとして一気に読んでしまったのだった。

小説 3

レプリカたちの夜

一條次郎

新潮ミステリー大賞を受賞したミステリーというよりミステリアスな大作。

一体どうしてこんなお話が出来たのか、ファンタジーでもありSFでもあり、そういったジャンルをすべて綯交ぜにしたような世界観。動物のレプリカ工場に努める主人公が絶滅したはずの生きたシロクマを目撃したところから物語が始まるのだが、まるでオーケストラを聴いているかのような盛り上げ方で不協和音も和音のひとつだと言わんばかりに進行していく。巻末にある膨大な参考文献リスト、科学・哲学・音楽に漫画、ジャンルもテーマもバラバラの何でもありの知識を作家というフィルターを通して、まったく新しい「知」を想像したまさにそのパターン。何があっても、何をやっても、それが現実的に或いは論理的に正しいかどうかなんて大した問題ではないのだ。