皐月文庫

日常

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最終更新日2022年6月11日
小説 31

ワーカーズ・ダイジェスト

津村記久子

舞台は大阪、デザイン事務所に勤めるデザイナーの「奈加子」は副業でライターの仕事もこなす32歳。一方ナカセガワ工務店に勤める同じ32歳の「重信」は東京から故郷の大阪に転勤となり実家に戻ってきた。何の接点もない二人がお互いに打ち合わせの代理という立場で初めて顔を合わしたのは大阪駅にあるホテルのロビーだった。表題の「ワーカーズ・ダイジェスト」に短編「オノウエさんの不在」も含めて会社員の薄い悲哀を綴ったまさにダイジェストな日常譚。

この作家の人物描写には本当にいつも驚かされる。絶妙な距離感があって、例えばそれぞれのキャラクターにぐっと寄って深層を抉り出そうとするわけでもなく、読み手がある意味神様のような視点に立ってただただ箱庭を眺めていくわけでもない、まさに彼ら彼女らの頭の上にいるような、そう今風に言えばGoPro映像のような感覚、本作においてもその感覚はもちろん健在で、なおかつサラリーマンたちの頭上数センチに立って垣間見るわけだから、何だか無性に叫びたくなるような生々しさにグッとくる。ところが不思議なことに感情移入云々というような物語で有りがちな楽しみ方がここではし辛い。登場人物たちの生音が聞こえてくるような場所にいるのに、どういうわけかフッと二三歩引いて読んでいる自分に気付く、これが驚きの理由になっている。

よくよく読んでみればそれぞれのキャラクターはかなり特異な方だ。何かにコダワリがあり、悩みもあり、ちょっとづつ失敗もする、好きも嫌いもやたらに溢れていて妙に鼻を突く人間臭さがある。ところがそんな人物があっても日常のアレコレが覆るような大きな事件が起きるわけでもないので、おそらくこの辺のバランス感覚、人物と背景のマッチ具合が多分キモなんじゃないかなと読後に思ったのだけれども、果たしてどうだろうか。

とにかく何度も言うようにこの作家は観察の人だと思う。それは本当にどの作品を読んでも強く感じる。あるいは「観測」の作家であって、作家である彼女が見たものが「事実」として小説になるような、そういう自然な創作の流れを体験出来ると思う。

小説 29

ジャージの二人

長嶋有

二度の離婚をして更に三度めの結婚もうまくいっていないカメラマンの「父親」と妻に不倫をされてもなおウジウジと決めかねている「息子」が祖母の残した軽井沢の別荘で過ごす避暑のための数週間。大量に残された学生用ジャージに着替えて、何をするわけでもなく、親子揃ってダラダラと夏を越していく。まるで映画のワンシーンワンカットのような切れ目のない文章、何処か地に足の着いていないフワフワとした登場人物たち。ストーリーとテンポが噛み合わない不思議な非日常系日常譚。なお文庫版には表題の「ジャージの二人」に後日譚としての続編「ジャージの三人」も収録されている。

久々に小説を読んでいて「ウッ」となった。面白い、何も起こらないのに面白い。で、面白いんだけど、その実ものすごく読み難い。このセリフは一体誰の言葉なんだとか、そういうふうに視点視座が当然のように「わかっていますよね」と勢いで紡がれていく。読むためにはまず作者の頭の中に入り込んで情景を共有し、次いで登場人物たちに入り込んでその空間が一体何なのか把握する必要がある。しかしこの作業が無意識にできるようになると、急に視界が彼らのものにジャックされて妙に生々しい物語となる。これがこの作品の最大の魅力のひとつだと思う。

勿論こんな仕掛け(あるいは作風めいた)というのは別段新しいものではないだろうし、珍しいものでもないんだろうけど、どうにも他に説明のしようがないのだ。先ほど言った映画のワンシーンワンカットというのは若干強引な例えではあるのだけど、個人的には正しいと感じているのでよく言われる「臨場感」とは別に敢えてもう一度言及してみる。つまりこうだ、書かねばならない情報は連続している、それは原因と結果の反復であり、それこそ時間を軸にしたリアルさである、都度あらわれる様々な事象や思考の変遷を脚色なく鎖のように繋いでいくことで物語に嘘臭さがなくなり、その結果作品世界と読み手の間の距離感が限りなくゼロに近付いていく、とこんな具合だ。

「父子から魔女じゃないかと疑われている友人」「携帯電話のアンテナが3本立つ場所」「ほとんど気を使わない犬臭い犬」というような気になる仕掛けがありつつも、表題の通り蓋を開けてみれば結局は「ジャージの二人」ではあるのだが、この一筋縄ではいかない(あるいはいかないように装っている)この究極の距離感こそ、味わってほしい本作最大の魅力と言える。そして図らずも一気に全部読んでしまう、そういう類の小説なのだ。

小説 18

論理と感性は相反しない

山崎ナオコーラ

難しい言葉でお茶を濁すような真似はせず、出来るだけシンプルに平易いな言葉を使って優しい文章を書きたい、的なスタンスの作家が送る一見して「何なんだこの小説は」という感じの作品。作家による真っ当な「小説」への破壊活動。それも思想犯というより愉快犯による犯行とでもいうような。

ああもう分かる、のめり込むくらいの、底のない沼というより水溜りくらいの面積で簡単にハマってしまう感覚。一読して早速「わかった、私はこの作家のことが好きなんだ」と思う読み手は多いんじゃなかろうか。距離感が妙に近いのは前述のスタンスも影響しているのかもしれないが、そんな具合で頭の後ろからくる視線に気付いて振り返ると、「近っ!」という感じで作家の(見たことない)顔があるような。うん、…分からん。

一応「神田川」さんと「真野」くんという主要な登場人物がおり、彼らと彼らの周囲にある細やかなコミュニティの、実に細やかな出来事を細切れにして脈絡なくつまみ上げたような形になっている。詳細に書いておきながら「え?」という感じであっさりと終止符を打ったり、「は?」という感じで唐突に始まった物語は「うっ」という感じで得体の知れない示唆のようなものを残していく。

これはもしかしたら作家という芸術家の、頭の中にある「論理」と「感性」を小説という形で象った一種の私小説なんでしょうか。

小説 16

雪沼とその周辺

堀江敏幸

雪沼という山あいにある小さな町を舞台に、そこに営む様々な人間の在り様を描いた全7編。このうちの一編「スタンス・ドット」で川端康成文学賞を、表題の短編集全体で谷崎潤一郎賞及び木山捷平文学賞を受賞している。

ここで描かれている世界は取るに足らない人間の生活そのものでしかない。きっと何か別の媒体で、例えば映像化したとすれば誰もが想像するような過疎化した町の日常をやや冗長な画で切り取るくらいにしかならないだろうと思う。ところがそういう普遍的な人間の生き様を、この作品では人と物あるいは情と景のバランスを保ちながら、説明することの難しい緊迫感のようなもので間を紡ぎ、読み手の感情を前へ前へと走らせることに成功しているように思う。つまり文学でしか表現の出来ない「純」な作品なのだ。思うにこの感覚こそ、本小説の最も重要な点(様々な作品がある中)であって、代え難い魅力のひとつだと言えないだろうか。

「言葉のマジック」という評し方があるが、それに近い仕組みがあったとしても、煙に巻く様な言葉遣いでうやむやにせず、丁寧に丁寧に一文ずつ書いていった様なそういう印象の強い傑作だと個人的には感じている。

漫画 4

プリンセスメゾン

池辺葵

居酒屋チェーンで働く沼越さんの「家」を買うためのお話。全6巻。居酒屋の同僚、モデルルームのスタッフ、その関係者、手の届く距離のごくごく小さな範囲で繰り広げられる「居場所」の物語。

まったく唐突に「幸せ」って何だろうと思う。ふと思いついた夢だとか希望のような小さくても前向きな思いを詰め込んだようなそういう感覚こそ、この物語の大きなテーマのように感じる。そう別に小さくてもいいのだ。この作品の中の登場人物たちは誰もがその小さな幸せを大きなテーマとして抱えている。悩みもするし、失敗もする、誰もが日々出会うような小さな岐路に逡巡する、そういう様子がとにかく愛おしい。そうとにかく愛おしいのです。

漫画 2

イエスタデイをうたって

冬目景

コミックス第1巻が発刊されたのが1999年。最終巻である11巻は2015年、足掛け16年に渡って様々な意味で読者の気を揉み続けた大作(と言っていい)。後日譚や作家へのインタビューを載せた短編集「afterword」も含めて全12巻。

携帯電話もネットのやりとりも出てこない昭和のモラトリアムを味わえる。何も起きないし、何も始まらない、だがゆっくりと確実に掛かった時間以上の緩やかさで逡巡し葛藤する、それでも爆発するような激しさは勿論なく、どちらかと言えば下流の川の流れのようなそんな静けさ。おそらくこれが等身大というやつなんだと思う。

カラスを肩に乗せたハルというヒロインも決してエキセントリックなわけではない、もちろん「ああいたよねこういう娘」ということでもなく、何というか事も無げにただ在るというようなそういう感覚(或いは)描き方がこの物語では大事なポイント。

小説 2

とにかくうちに帰ります

津村記久子

表題の通りとにかくウチに帰りたいのだ。豪雨だろうが何だろうが、帰巣本能に従って帰るためのストーリー。

あらかじめ約束されたかのようなタイムラインで進行していくごくごく日常のありふれたお話。しかしそこはこの作家なので一筋縄ではいかない、どんな石ころにだって宇宙を与えてしまう観察力で壮大な物語に仕上がっている。不意に現れる名前、城之内さんは…、ファン・カルロス何とかは…、この絶妙な仕掛けに例え様のない生々しさがある。まるで今もすぐ隣で息をしていそうなそういう感覚。

ちなみに読了後ツイッターで呟いた率直な感想が多分一番分かりやすい、曰く「征服も救済もなく、罪も罰もなく、劇的な生も死もないごく普遍的な日常をそういった振幅の激しいドラマと同じ熱量で綴られている。とにかく観察の作家だと。人間が好きなのだと思う。面白い。そして大好物だ。この作家に出会えて良かったよ、本当に。」

小説 1

この世にたやすい仕事はない

津村記久子

極度のストレスで仕事を追われた主人公が、職安の担当員に紹介された奇妙で不思議でニッチな仕事の数々を淡々とこなしてく様を描いた作品。これだけ書くととてもじゃないが面白さの欠片もなさそうな内容なのに、この作家特有の観察と指摘によって驚天動地の大スペクタクルロマンに早変わりする。

心情をストレートに伝えるだとか実は何にも考えていないで適当にうった相槌だとか、そういう言葉のひとつひとつに「生活のある人間」の生々しさを感じてしまうのは、この作品の、というよりこの作家特有のセンスなんだろうと感じる。

登場人物たちは真摯に働いて生きようとしているはずなのに、読み手には奇妙で滑稽に映ってしまうこのズレを味わい、読みながら何度もニヤニヤするに違いない。表題の通り、この世にたやすい仕事なんかない、ひょっとすると、もしかしたら、あるいは、たやすい仕事があるのかもしれないが、作家はちゃんと「ない」と言い切っているのでこの小説のポイントは疑いようもなくそこですね。