離陸
絲山秋子
国交省からとあるダム現場に出向した「佐藤」は、ある夜外国人(屈強な黒人)の突然の訪問を受ける。佐藤の元恋人「乃緒(のお)」は奇妙な名前の息子をフランスに残して失踪しており、一緒に探し出してほしいと言う。なぜフランスなのか、その子の父親は誰なのか、そして彼女は今何処で何をしているのか。その瞬間から日本やフランスなどいくつかの国を跨いだ壮大でミステリアスな物語が幕を開けるのだった。
主人公である佐藤を軸としながら、彼自身と彼にまつわる「人生」にスポットライトを当てて、肝心なところはぼかしつつもその実痒いところに手が届くような繊細さで描写がなされている。例えば冒頭に描かれる山奥のダムに風景や飛び先でもあるフランスの街とその路地裏の描写など、必要最小限度の文体で「そこにいる感」を軽々と演出しているふうに思う。このある種の軽妙さは、主人公「佐藤」の性格あるいは心理状態と常にリンクしていて、まるで狂いのないメトロノームのように、スラスラと先んじてしまう心地よさがある。それはまさしくこの作家のセンスだと言えるのだが、そういう言葉では何とも説明のし難いセンス(敢えて魅力と言う)として、この作家ほど分かりやすい方はいないんじゃなかろうかとも感じるのだ。
失踪した女優「乃緒」を求めていく過程で不意に提示されるミステリアスな展開、SFかファンタジーか「これはそういう類のお話でしたっけ?」と読み手の中に現れる疑念。この仕掛けが実に面白い。この疑わしさの中、本質は決してブレずにただただ真っ直ぐ進んでいく。つまり表題の「離陸」の通り、この物語はその終盤まで長い長い滑走路を直進しているに過ぎないのだ。だからこそその答えに迷いがない。間違いがないとも言えるのだろうが、このあたりはボク自身ももっともっと読み込まないと確信には届かないだろうなと。そういう点でも読み応えのある作品だと思う次第だ。
海の仙人
絲山秋子
宝くじに当選して思わぬ大金を得た「河野」はさっさと会社を辞めて日本海を臨む福井県敦賀に移住する。不意に現れた不詳の神「ファンタジー」との共同生活、ジープに乗った年上の「かりん」との出会い、元同僚で何やら思いのある豪快な「片桐」、そんなふうに孤独だった「河野」へ徐々に加えられていく色や音。とにかくその神「ファンタジー」をどう読むかで、この物語の面白さは如何様にも変わってしまう、不思議な物語だ。
物語の構成としては本当にシンプルだと思う。ちょっとしたロードムービー的な展開もあるし、出会いと別れもきちんとある。誰もが孤独だし、でもどこかで誰かを必要としている、主人公「河野」はそれぞれの個性に振り回されながらも、「置いてきた」自分自身と向き合わなければならなくなる瞬間がある。そんな良質な人間ドラマを展開していく中で、異質の存在、神様「ファンタジー」とは一体何者なのか。
何の役にも立たないが、役に立たないなりの不思議な能力がある、ぶっきらぼうでいて、でもやっぱり神様らしい言葉を吐く。僕なんかは最後の二行で初めて彼の存在があったのだと思いたい派なんだが、要するにそんな奇妙(というより珍妙)な存在がこの物語に「居る」にもかかわらず、作中の何処でも何ら浮いた感じがしないのは読後から今以て謎のままだ。