皐月文庫

滝口悠生

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最終更新日2020年11月3日
小説 27

高架線

滝口悠生

池袋に程近い西武線東長崎駅から徒歩5分、線路側、踏切間近に建つ古アパート「かたばみ荘」を舞台にその住人たちの一時の人生模様を描いた物語。出ていく住人が次の住人を探してくるという奇妙な条件、アパートに不具合が出ても大家がほとんどDIYのノリでカタをつけるためメンテナンスはないに等しい、で家賃は格安の3万円。アパートに伝う電車の通過、踏切の音、そんなボロボロのアパートに住まう人間たちとその周辺のややネジの緩んだ生活の有り様を日記のような気軽さで飄々と語っていく。

「○○です。」という自己紹介から始まる不思議な構造、内外入り乱れる文体に唐突に区切る文句、誰に向けられているのか曖昧な表現、このモヤっとした言葉の使い方はリアルな「日常」の中の出来事を語るに相応しい。一方で彼ら彼女らは決して奇特な部類の人間ではなく、平凡でありきたりな都会の個性であり、決して特異なサンプルではない。物語の終盤に向かって怒涛のように明かされる事実も単なる稀有な出来事だと片付けるには野暮というものだ。そうした奇妙さやおかしさ、言い換えればある種の「都合の良さ」こそ本質を覆い隠すための装いであって、本質から遠ざけようとする仕掛けに過ぎない。外側の「遊び」の部分と内側に込められた「思い」を味わう、これこそ本作の肝ではないだろうか。

家のひとつひとつ、部屋のひとつひとつに住人がいて、それぞれの生活や生き様があるという当たり前の事象に改めて気付かされる。「他人が(それも無数に)個として生活している」ことの重大さはマクロな視点で考えざるを得ない現代社会の、それも都会という場所の問題を詳らかにするのと同時に、その膨大な「個」の情報量にある種の神々しさや美しささえ感じてしまうのは、それが人生を抱える紛れもない「命」だからではないか。この感覚を物語の最後に高架を行く車窓から登場人物たちが受け取るのは印象的であるし、何よりその腹の中に新しい「命」が宿っていることも見逃せない。連環というと月並みなテーマに陥りそうではあるが、取っ掛かりを奇妙なアパートの生活から初めてこの終幕に落とし込む作家の仕掛けに、やはり神懸かり的な美しさを感じてしまったのだ。